2015
07/30

みなさんと共に帰りましょう


沼田地区にも「精米機」が地区の外れにある。我が家でも親戚でコメを作っているので、30Kの玄米を貰う。二人だけの生活には毎年2表余り間に合い、仙台の兄の甥っこ姪っ子の子沢山の家にも、時々お裾分けをしている。
こないだ沼田地区から平磯へ向かう細道の光景にこんな場所がある。震災前は田んぼと緑で覆われていた場所には、精米機の場所から現在5軒の家が新築となり、道路沿いには高台移転の「平磯団地」もでき家の6世帯は完成している。その向かいも造成が進み、今後家が建ちそうで、町のあちこちに家が建つのは良いが、少子化と高齢化で夫婦だけの高齢世帯になったときの買い物などの生活環境の大変さを思う。
私は仲間の新築物件内を見るのが苦手だ。何かしげしげと覗く感じが嫌で、自分の参考にとは思わない。話を聞くと「ベット」を入れたと言う。60歳をまじかに向かえようとしている仲間たち、寝起きは布団よりも絶対楽な事を、自分自身も安いベットを購入したので、日々寝起きの立ちあがる事の楽さを体感している。父親にもとベットを進めるが、「俺はイイ」と90歳を過ぎてもこのままで良いと、いまだに頑固を通している。これが色々な生活不便の中で生きる「バネ」となっているようだ。
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昨日も登米市横山の仮設に物資の「じゃがいも」を少し持って行き、欲しい方々に配って下さいと自治会長に話すと、快く引き受けてくれた。帰り際に「家で作ったササギ食べますか」と言われ喜んでいただき、キューリは入谷から貰いものだけと「どうぞ」と3本貰った。その獲りたての地物野菜は昨夜の食卓にプラスした。この日もお金の節約の生活だった。互いに「物々交換ですね」と、助け合い生きましょう、そして町に帰りましょうと伝えた。「大変だけど」と声が返ってくる。
被災者の事業補助や生活補助を、政府は厳正に厳しくすると言う。震災直後のゴタゴタの政府の不備を利用し、多くの補助を受けた人たちも多い中で、やっとこれから事業の再建・生活再建と動き始めた被災者に、国民に更なる壁として覆いかかっている。各省庁と県の関係部署は、対象者となり被災事業所を心を込めた精査で、補助判断をして欲しい。多くの知識と大きな伝手を持っている人達との「格差」を真剣に考え、悪者と頑張って生きようとする弱者を、見極め支援を考えて欲しい。
震災の混乱の中で多くの支援金で潤った人、支援金を独り占めし大きくなった人、いろんな人達の顔を見て来た。「顔が変わり」「鼻で人を笑う」、こんな人たちが町に多くなった気がする。
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