2015
07/26

篤実に会いに行く

270726ブログ
朝5時30分に伊里前商店街で親友と待ち合わせた。少し前に着き歌津の慰霊碑のある歌津駅裏の高台を望む。24日に建立式を終え、下の駐車場からでも「観音様」がある事で、その場所を確認できた。
歌津湾の朝日の毀れる海上を、高台から観音様が下界の人が作り出す姿を見つめる。「遅い」「町の復興の公平化」「死者への心からの供養」など、その行動を監視するかのようだ。
慰霊碑に刻まれた方の8名の名前に思いを馳せる。山口さん優しい人だった。小野寺さんも気遣いに感謝し、まだ若い井上君・三浦さん、多くの心残りで天国へ召された。牧野君は農業委員会で町の農業振興に一生懸命だった。
篤実はベガルタを応援し、楽天を見なから美味しいビールを飲んでいる。また、ゴロフ談議で酒を酌み交わしたい。「釣りへは行ってるか」、君が大好きな多くの大きな魚も君が来るのを待っているぞ! 大好きな歌津湾の今日は「なぎ」だ、さあ出かけよう。
CIMG2958.jpg
観音様の建立は「怒り」「悲しみ」「怨念」があり、年老いてもまだ納得できない町の対応を、その矛先に慰霊碑建立を感じる。
私の町づくりへの住民再建への遅すぎる事での反発が、多くの行動力の原動力にある。ベイサイドでの行政の二次避難説明会での、「住民は大好きな南三陸町志津川で死んでもここにいたい」と、町長に訴えた。しかし、多くの町民が町の復興の姿を見ずに天国へ旅立ち、町を離れ他所への移転を余儀なくされた。
震災後の故郷「南三陸町志津川」への帰りたいとの気持ちも、大きな風化の渦に埋没している。

昨日の志津川湾夏祭りは、市場がメインの会場となり、町外から町で暮らす人たちが、わざわざ新漁港市場まで足を伸ばす。そうしないと祭りを感じ取る事はできない。以前の町中の夏祭りは、家に居ながらにして祭りに参加し浸る事ができた。これからの市街地整備は観光客向けの「夏祭り開催」へと、荒島神社例大祭は観光の為のイベントと成り下がる。京都の祇園祭のように、都の賑わいの創出があるのに、利益主義がまかり通る社会へと町は変わる。
150724_154712.jpg
志津川中学校卒業の還暦祝い同級会を来年2月に予定し、物故者の供養の「角塔婆」の立てる場所を見に行って来た。
志津川中の同級生は、志津川小・清水小・荒砥小の3校から集まり、約240名の5クラス編成だった。今回の物故者には3.11の大震災で10名前後の死者が増え、22人を超える事となった。60歳でのこの数は、中型漁船の海難事故での死と、交通事故も多く、社会問題での死も現世の置かれている状況を反映している。
これ以上の仲間の不幸は当分の間ないだろうと思うが、せめて80歳までは生きようと、仲間で話す。物故者の塔婆建立を「8月9日」に行う、同級生の都合の良い仲間は集まって欲しい。そして、来年の1月末の週末に還暦祝いを予定し、平日を避けみんなの意見で土曜日宿泊で計画は進んでいる。


スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:28 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP