2015
07/21

志津川地区の崩壊の責任は誰が


「消滅都市」「過疎化指定」は震災後にできた言
葉です。「財政破たん都市」はあってもこんな言葉は無かった。もっと自分達が生きる生きて来た町を考えよう。大きな原因は大震災とは判断できるが、それから更なる町の低迷は誰に責任があるか考えよう。
南三陸町は志津川地区と入谷・戸倉地区が一つとなり「志津川町」が出き、今年10月1日は志津川町と歌津町が合併し、「南三陸町」が誕生した。10年前は志津川地区が9353人で、戸倉・入谷は合わせても4758人だった。歌津地区は5567人で合併し南三陸町となった10年前の人口は19131人だった。
27年5月末で志津川地区の人口は5771人となり、合併前の人口から「3824人」が減少している。しかし、合併した歌津地区は10年前5567人だったものの、震災死は110名ながら現在の人口は「4545人」と津波の死者を引くと、922人の減少でしかない。志津川の4000人近い死は何でなんだろう。商工観光に特化した町政があり、少子化や子育て問題を先送りにし、震災後の少子化対策を津波被害の学校環境整備に追われ、人口減少への取り組みが後回しになったからと私は思う。そして人口減少の対策を今から進めても、それを食い止めるには大きな流れがあり、いまさら遅きに失した。
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志津川市街地整備の嵩上げが進み、本浜と南町の防潮堤が本格工事に入り、通行禁止となり8月4日から写真のような切替道路の為、う回路がまた出来る。45号からの右左折に関し、石巻側からの「右折禁止」となり、十分運転に気を付けて貰いたい。被災地の交通事情は益々大変となり、防災庁舎慰霊のバスの侵入も、新しくバス通路があるのに、小さな入口からの侵入で右往左往する大型バスを見かける。
「何で観光を批判しているの」と言われる。そうではなく、もっと力を入れる事が行政にはあるとの意味から、それを訴え続けているだけと答えている。「地方創生交付金」「ふるさと納税」の使い道、いまだに全国の義援金を充てにする行政の現在の姿があり、被災者の自己再建への補助など限られたものだ。
国民保険税が来た。昨年は年間「45万」があったが、今年は「20万」となっていた。所得割の為で町の税収減がこんな所にもある。私の事業所の経営の厳しさが町の税収にも影響を及ぼしている。
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