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2015
07/06

観光客で町は埋め尽くされていた


土曜日に来町され交流会をした大阪府印刷工業組合の東大阪支部の皆さんを、歌津長須賀海岸の津波前の民宿街の合った場所、志津川袖浜の同様の現状を案内して歩いた。戸倉でも「青島荘」が再建したと言う。しかし、以前の民宿軒数と比べても、津波民宿流出から5年目を迎えたものの、再建はこれで終わりとなると、8割近い民宿が町から消えた。今後は漁業・農家民宿が増えていくかもしれない。
お昼を食べに志津川商店街に行き、その来場者の駐車場の車の数に驚いた。特別な国民的な連休でもないのに、300台以上も駐車できる場所に8割近くの車で埋まっていた。歌津商店街を通過してきたため、その皆無の来客の差に驚いた。震災前には100万人を超える来町者ながら、今の観光の強化と被災地支援の国民が、被災地への流れは「風化」を感じさせない現状を知った。週末・連休の来町者の流れは、大震災により水産物と海鮮丼での観光の町づくりを成功させた。と昨日の光景から悔しいが実感させられた。
大阪の帰り時間で限られたお客さんを、行列させ窮屈な所での食事は避け、ホテルのレストランで2時頃の食事をした。広い店内に来客は2組、広々とした場所で広大な志津川湾を眺めなからの海鮮丼に、大阪の同業者も大満足していたようだ。丼ぶりいっぱいのイクラと、サーモンとアワビを「美味しい」と言って喜んでくれた。
観光では歌津の田束山と、歌津駅裏の「歌津津波慰霊碑」から、震災で消えた街並みを説明した。帰りに「未希の家」に廻った。東大阪支部の皆さんは南三陸町に来町の度に、未希の両親に顔を出し「仏壇に上げて下さい」と大阪からのお土産を持参する。剣道の師でもある父親と、志中剣道部女子部長の娘との係わりがあり、遠藤家と繋がりを今後も続け、支援をして行きたい。少しの落ち着きのような母の顔に安堵した。
最後に「防災庁舎への慰霊」を欠かさない。祈念公園・防災庁舎保存の計画を決定しているものの、整備されるまでに後何年掛かるだろうか。嵩上げの間の大型バス道路に驚き、知らないままで細い入口に入り込んだバスは、入口で立ち往生していた。語り部が案内し防災庁舎での悲劇を語り聞かせる。どんな思いで観光支援の皆さんは聴いているのだろうか? 語り継ぐ意味を私は別な角度で考え、最後まで行政の津波防災不備と、それで失われた町民とその家族の悲劇を伝えていきたい。
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志津川の商店街の隣にできた「さかなのみうら」への来客が一日「700人」と言う新聞が、店内に掲示されていた。品数も多く新鮮な魚介類が格安で買えるが、この店のコンセプトと聞く。商店街への影響は大きく、競争化社会の現実がここにもあった。以前東大阪への「支部ビールパーティー」の商品に、銀鮭の「お頭つき」の内臓を取った一匹丸々を贈り、喜ばれ驚かれた。東大阪支部の皆さんは、お土産にと10本近く依頼し、宅急便で友達に送ると言う。大阪に留まらない山口・福井と、広く志津川産の養殖ながらブランド「伊達銀」の名産品の発信の手伝いをした。震災後に放射能の風評被害で、関西圏の銀鮭が売れない事への、蔭ながら漁業の支援をした事になる。
昨日の町探索は大阪の来町で叶い、複雑な一日となった。昨夜の8時に仙台空港が帰路に付き、一時間で地元に帰えると言う。狭い日本がここにあったる
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