2015
06/15

明日に向かって

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昨日は「グループ補助事業」の商工会から通知書を希望する方々に届けた。町内の2軒と横山駅裏仮設までで行った、ついでに知人の仮設に寄った。少し暑いけど電気の節約を図っていた。
本浜地区の方で旧行政区の人達と連絡も取り合っていた。仙台の災害公営住宅に二世帯の方の入所が決まり、子供の家に落ち着く方もいたと言う。家庭の状況の中で行く先も悩んだ上で、「終の棲家」を決めていた。知っている方の震災の悲劇の話も聴く事ができた。当時の行動の差が生死を分け、家族を思うが故の予想を絶する津波が襲来したとも言える。
5年目を迎え遅い団体の事業所救済の情報に、「今頃もう遅いよ」と話す人もいる。家族を抱えその世話と自己の生活の確保があり、生まれた町で今後も生活する方と、地元再建は無理と双方に厳しい状況が待っている。
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もう一か所は西戸の折立川右岸の農地圃場と、自分の夢を明日に向かい再建する、若手酪農家の所に行った。震災後に酪農を再建する時にはお願いします。と言われた事を思い出す。5年を迎え再建の方法を自分で見つけたようで、真綿らしい牛舎の柱が建ち建設が進んでいた。若手事業者を外部から引き込むより、地元で頑張っている人への町の投資が早い。業種により支援の助成の手段がないと、震災後に行政担当課が言っていた事を思い出す。
現在「人口減少対策」に、子育て支援として医療費や養育支援を図っている。それと同時に交流人口の拡大として観光・商店街の振興に大きな資金を町は投じている。また、Iターン・Uターン・Lターンなどの対策を考えているようながら、震災から立ち直っていない地元若手20代~40歳前半の住民の、再建支援に動くべきと考える。
現在町から他の自治体への移転再建者の大半は、生活が安定し資産・所得も多い方が、一早く自己再建し町を離れた。こうした町の資産家と言われる方からの税収は残った土地の固定資産でしかない。町に残るのは高齢者が4割を占め、高齢者予備軍がそれに連なる。復興特需・水産の復旧は、震災による知名度が現在の町の発展の元ながら、必ず風化し衰退していく。住民が町に残り人口維持が町の財政の元として永久ながら、人口減少を軽んじ、今頃対策をしている危機感の無い行政の政策に、町の将来を案じている。昨日も「登米市の税金は安い」「病院の負債が又増える」と言う町民もいた。税金の高い町に誰が残るだろうか、将来の生活に安堵できる所で、余生を過ごしたくないは当然の行動と思う。税金が上がり支払う事に苦しみ、初めてその現実に向き合う。今から町の経営策を真剣に考えないと後で痛い目を見る事となる。
今日の2時から「議会特別委員会」がある。防災庁舎の保存の要望を出した人が、「参考人」として議会で発言する。被災地の議会の混乱とメディアは砂糖に集まるアリのように、面白い話題として又全国で放送され、防災庁舎がテレビ・新聞で報道される。「ただ」でのメディア戦略とも取れ、これを幸いと思う人達も我が町には少なくない。反対に見るのも嫌だと「解体を求める殉職者遺族」は、また辛い思いと忌わしい記憶を思い起こさせる。最大の当事者の町長の決断の無い曖昧な行動・発言が、合併で「一つ」になった住民を、二分する問題の根源だと私は思うが、町民の震災の傷か癒えない中で、防災庁舎問題への関心が薄い事を良い事に、町は住民の早期住宅再建の仕事も後回しに、議論が別な所にある事で、火の粉が自分に来ない問題を作っているようだ。
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