2015
05/31

仙石線全線開通でにぎわう


今日は朝6時から沼田地区の清掃活動があり、1~6班で約70人が参加した。それとは別に7~10班の東浜団地の、2つに分かれての総ての道路清掃と、国道45号沿いの植栽の活動を行った。朝の雨から清掃開始時には雨もやみ、少雨決行に私は合羽を用意していた。
昨日は石巻まで仕事の配達に向かう。中央のアーケードは撤去され、メイン道路には商店街が2カ所あり、缶バッチを売る施設の子供たちの声掛けに、応えてやれなかった事を後悔する。
市役所前では「じゃんけん大会」で勝った方へホヤの箱詰めがあり、長い行列が出来ていた。市役所の脇の以前駐車場だった所に、津波で被災した私立病院が建設されていた。
石巻駅には仙台から多くの人が、石巻を訪れ商店マップを持って町中を散策していた。石巻の商店街は蛇田地区に移りつつあるが、旧商店街も仙石線の復活で、新たな形で商店造りが成され、FM放送にはゲストを迎え、市の物産施設には観光客が溢れていた。「石巻焼きそば」のテントが3軒あり、若者たちの屋台の子供の呼び込に引かれ買ってみた。お店で2回ぐらい食したが、こっちの方が断然美味かった。若い家族が開通と市の再建に協力しての屋台は、新鮮でお客を引き込むパワーを感じる。
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今日の10時15分からの雄勝地区の被災の当時の行動を伝えるドキュメントがあった。当時の何とか子供達に食べ物をと奔走した先生方の、必死の行動に同じだったと感じ、町外に出ていた父親の家族消息が心配で、道なぎ道の雪とがけ崩れの峠を、ひたすら家に向かい歩き町を見た時の衝撃と、立ち止まる事無く前に進む父親の行動はやはり何処も同じだった。家族を見つけ抱き合う事も当然何処でも見られた。
震災後に何を食べていたかも記憶にはない、被災した街を眺めながら一夜を過ごした。襲来時の「津波が来た!」「逃げろ!」の言葉だけをあらゆる方向に向け発していた事は覚えている。
4年2か月目の仙石線の復活があり、生活を再建させた人も多く、あの絶望の淵から「とにかく家族の無事を」と願った、当時の命さえ無事ならの考えが、多くの落ち着きから「多くの野望」を描く人が多くなった事を感じる。
新聞には町民の150人が未だに方向性を決めかね、復興予算の見直しと造成の見直しなど、とにかく国からの復興公金の全額負担から、国の財源不足が表面化してきた。各地で起こる自然災害やオリンピック施設建設、社会保障や安全保障があり、ここに来て更なる「円安」への経済が動き始まった。
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