2015
05/19

もう一つのブログから


八幡神社から上山緑地公園に向かう、志津川保育所の前から志津川高校の方向を望んだ。
国道45号のう回路を眼下に見て、その後ろの赤土は「町開き」の旧五日町のショッピングモールと道の駅の建設計画の場所です。遠くの志津川高校は生徒数の減少が進み、学校の裏山は造成され、森林は伐採され山の赤土が露出し、海の青と山の緑の志津川地区の自然が、住民の新たな生活の為に破壊されている。
国道398号は橋脚建設された。その向かいの道路から橋が建設され下の国道と合流する。八幡川の両側の河川堤防の建設が進み、観光バスが防災庁舎に入る南町と汐入の川沿いの道路も、「通行止め」となり、観光客の出入りが現在できない。
8.7mの河川堤防は、これからの発生を予想する、津波の通り道となり、今回の大津波の勢いはさらに増す事を私は予想する。志津川小森地区で止まった16mの津波も、もっと奥へと進行する想像を私はする。
防災の河川整備は政府の試算によるもので、果然堤防が設置されても津波の増幅にはならないと言う。自然の脅威を軽んじる考えで、更なる人災となる事が心配だ。
高校下の14mも高い場所にあった「福祉の里」は全壊し、現在は南三陸農協本所建築が進み、気仙沼と南三陸の営農拠点が建設されている。
右側の橋脚の先には道路の高い部分が見え、その下を気仙沼線の走っていた、津波は高架橋を遥に高々と越え、家々を呑込み運んできた光景が、脳裏や網膜に恐怖映像として残っている。向こうの「旭ヶ丘団地」には、200世帯がありここだけが市街地で、地域として高台にあった為に存続した。もしここも奥地の低地部にあったら、志津川地域の町の市街地と町の住民は、もっと厳しい事となっていただろう。
残った旭ヶ丘地区の被災地での被災者支援は、志津川高校への「炊き出し」は、山を越えて届ける地区民が活動した当時の事を思い出す。私もこの場所に家族で逃げた一人だった。炊き出しの「おにぎり」は口にはしなかった。口から物を取る事は「水」だけだった。自販機も電気が無く買う事もだきないのが現実だった。
この写真だけでも多くの被災後を思い出し、今を伝える事が出来る。
270519ブログ
大震災の対策本部となった「ベイサイドアリーナ」から、志津川地区の東地区西工区の現在を撮影した。
工区の中にポツンと「あさひ幼稚園」の施設が見える。現在は休園しているようで、大雄寺の墓地駐車場に高台移転工事が終わるまで、狭い場所での幼児の活動を余儀なくされている。今後は写真の同じ場所を整備し、開園すると聞く。
大型トラックはこれまでの稼働から、現在3割増しとなり被災地の復興を加速している。役場の入口の沼田信号は朝夕の大混雑が発生し、東工区・中央区の工事車両の片側交通により、更なる混雑が発生している。片側通行の旗振りが突然出現する。よそ見運転は絶対やめて欲しい、大事故の発生は、また大渋滞と繋がる。こないだも気仙沼市本吉の大型トラック同士の交通事故は終日通行止めとなり、旧国道45号を始め内陸への道路は、大きく迂回をする事となった。

叔母の話に驚く。現在暮らす町でも「パワハラ」「セクハラ」があったと言う。大衡町の町長が職員の告発で、セクハラの事実が公表され、選挙への出馬を断念し、3世代の町長の歴史に幕を閉じた。しかし、町長は裁判で自分の潔白を主張すると言う。叔母の暮らす町でも選挙があり、親戚同士の町長選挙となり現職が落選した。「パワハラ・セクハラ問題が私の町でもあった」と叔母は言う。選挙は接戦だったが結局は現職が落選した。対抗馬は気仙沼市でボランティア活動をし、仮設商店街の運営をしていた。
我が町も被災前に水面下で職員へのパワハラ・セクハラが囁かれた。現在は町の再建に行政・住民も奔走しての活動・生活で、震災前の問題は何処かへ行ってしまった。「これで良いのか」と私は今も思う。色々な自治体での、弱い立場の者が泣きを見るこんな行政トップは在り得ない。自分に服従する者を自分の近くに置き、反発する職員は「左遷」し、定年前に退職する理不尽なケースが発生している。
町のトップの長期政権に付く事で、問題の発生があるようだ。安倍総理も数の論理で、自分の理想を掲げそれが日本を守ると言う。「議会制民主主義」で、選ばれた総理の行う事で仕方がない。民意が決めた事と言えばそうなる。選挙は若者離れが今後も進む。
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