2015
05/08

もったいない・もったいない 「無駄をなくして」


連休に廃線となりそうな「気仙沼線」の線路に分け入った。ここまで造り親しまれた気仙沼線、700億が復旧再建にかかるからと、黒字経営の「JR東日本」への資金の補助を国はしないと言う。数百億掛かり地域住民の夢を乗せて走っていた鉄道だった。南三陸町の志津川駅までなら資金もそんなに掛からない。しかし、折り返し運転での活用の用途としては、効果はと言う薄い。気仙沼市までそして岩手県三陸線との全線開通の効果は、単線とは違い多くの成果を生む。知人が女川町に平日行って来た。カモメに翼の形の駅舎、そして被災地復興のシンボルとして、大々的にメディアが報じてしたが、街を訪れる客も少なく、時間のせいか食事をする場所も無かったと言っていた。何をするのにも被災地では批判もある。
昨日は90歳近い志津川の名士を訪ねた。志津川商工団地の開発は勝倉三九郎町長時代に完成し、「こんな山に工業団地」との町民の批判もあったと言う。次の阿部公三町長時のベイサイドアリーナは、「あんなもの造って」と、「おかしくなったのか」とバッシングも多かった。大震災を見れば「先見の目」と言われ、「この場所があって良かった」と、住民の絶賛の声を聴く。歌津での「平成の森」は佐藤栄太郎町長が、高台に球場やサッカー場を造り、グランドゴルフ場や宿泊施設の建設は、町民から「イイ物を造ってくれた」と、その政策を褒め称えた。それは社会の成長期で、住民の安定生活の中で行った政策だからと思う。震災復興で政策・計画の失敗は町の命取りとなってしまう。
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連休に獲った筍とワラビを親戚・知人に配って歩いた。「こんな物」といらないよと言われるのを覚悟し、「筍いりますか」と5軒に聴いて廻り、全世帯から「欲しい」と喜ばれた。筍は大きい物で産直でも1500円もすると聞く、余計な経費の支出を控え、今の生活と住宅ローンの返済など、無駄な事はしていられない被災者の生活がある。
そばやカレーなどの食料品は、被災直後に頂いた物で賞味期限切れであるが、食べられないわけでもなく、支援でもあり努力し加工し食べている。旬の筍・ワラビも加工し保存し長く利用し食べる。震災前の何でもある平時の時、賞味期限切れは有無も言わず廃棄していた。今の我が家の合言葉は「節約」だが、生活の惨めさは父も私も嫌で、使うべきものは、心の安定の為ならお金を掛ける事はしている。
知人の仮設生活者は今も大変と言う。仮設集約と今後の事を考えると心が休まる事は無いと話す。学校の仮設なので確かに多くの不安を抱えていた。
嬉しい事が一つあった。私の「情報を楽しみにしている」と言う。少しでもこの町で住む人の為の手助けになっいると思うと、被災住民は町の情報に飢えている。しかし、今は新聞への折込で購読をしていない人への、配布は無理な状況にある。新聞の購読は被災した人たちは無理で、以前の3700部が、志津川・歌津は1450部で、戸倉が250部と現在の配布部数を見ても、2000世帯が新聞を止めたか取っていない。生活の大変さと世帯減少が分かる。戸倉と言えば、町内の川の水門の一つが撤去された。町内の多くの川にあった水門の中で一番に解体取り除かれていた。
昨日はホテルに大型バスが5台入り、色違いの2社のバスが防災庁舎を廻りホテル方向に走る。45人乗りとして10台で450人が来町した事になる。こんな数ではないと思う。連休が終わりマイカーでの個人の観光客から、ツアーによる大型観光が始まった。「教育旅行」は会社・学校など、被災地「南三陸町」の姿がから、社会で生き抜く「術」を学ぶために旅行であり、被災地支援としての位置づけを持っている。地元の雇用もあり否定するわけではないが、もっとホテルがあると良いと思う。大手ホテルは南三陸町への進出は5年目となるのに、今だに一社もない。これは南三陸町の集客動向調査を元に、経営としての立地は難しいとの判断からだろう。町経営のホテル建設など大胆な政策をして欲しい。東京で区役所の建設があり、上層部をホンションにした。決して住民の税金は使わず、地区所有の土地転売・貸出で、その資金を捻出していた。国の交付金だけでの町づくり依存は、自治体の経営は将来的に心配だ。
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