2015
05/06

私が慣れ親しみ愛した町はもうない

被災後
震災での多くの苦しい現状から逃げ出せる場所を作ってくれた仲間と、志津川の袖浜で会い語りあった。病気の事もひと時忘れ飲んだ。

4日間の被災の振り返りは空しささえ感じた。多くの周囲の人からの支援と気遣いに触れ、知人・友人・仲間への感謝の気持ちが溢れた。
私の知人であり恩人であるお得意様の、震災後の歩みにはその険しい事業再建と、社員を守り更なる事業の展開に、光明が見えるまでの震災からの復興があった。
ある団体に属し、これまでの人との繋がりで登米市での事業拡大の場として、高速道路網の利便性を生かし、隣県から東北・関東への進出を目指した。新たな事業は13年目にして開花し、信越や北海道そして全国へと、震災の厳しい環境に在りながら、事業の飛躍を加速させた。
新たな事業の成功は先を見通す先見性からで、経営者の必要な、1.情熱2.知性を高め3.野心を持つ事とで、経営者としての資質を持つと解いていた。
私は震災から再建まで、自分の為に邁進し3年で実現し、多くの問題を抱えながらも、安心して生活できる環境を整えた。再建の情熱は強固なものだったし、町の復興の形も自分なりに分析し、町民に情報の発信の新聞も「第36号」まで続けた。仕事に対する野心も生活の平安から、年々衰えていっている気がする。

後10年と考えるが、両親も101歳となり存命など考えた事も無い。今後どう生きるかを今考える。誰の為に何のために生きると言う目標を失い、楽しく・楽して生きる物を探し始めたのかも知れない。
人もいなくなり町も大きく変わる。新たなこの町での事業の展開は、若い後継の力もいない古い会社にとって、経営の維持・拡大は、その壁は余りにも大きく巨大と感じ、恐ろしくさえなる。大震災のあの津波だけでたくさんだ!
多くの高齢の被災住民は、私のような将来の事を考え悩んでいた。人間が生きる事の大変さが被災地にある。
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