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2015
05/05

正に戦争の跡だった


大震災津波の後の志津川市街地を紹介し、連休に供養の意味でブログで伝え、今日で4日目となる。当時のあの現実を私は忘れる事はないが、被災から学んだ事を、残された時間では充実した生活を確保し、更なる夢に向かい最後まで人生を満喫しようと思う。DVC00115-1.jpg
2011.3.20の記録
この日は志津川小学校の避難場所にいく予定が行けなかった。何故かと言うと「議会議員の集会」があり、10時からベイサイドの体育館の、隣りの空き地が場所で、3人が欠席で13人が集合した。そこで佐藤議長の殉職を聞かされる。状況を行政から聞こうと対策本部に打診するも、町長には会えず、一人の議員が副町長に理由を聞くが、「多忙で無理」と言う。以前から町民の代表である議員に対る態度で、非常時だからこそ合い話しをするべきながら、議会への軽視と私は受け止めている。各議員は地域に張り付き被災住民の状況把握をしている。震災から9日も経過し、5分10分でも時間を設けて欲しかった。集合した話の結果、西條副議長が対策本部に貼り付いて、対策本部の状況を議員に伝える事とした。対策本部へは私は震災直後から避難所を廻り、「食べる物や飲み物が歌津中の避難所には来ていない」などと伝えた。その反面入谷地区は国道398の道路網を使い、多くの物資が町に入り、避難者を被災地の中で一番潤っていた現実を見た。

戸倉西戸の被災現状は厳しい物だった。戸倉の名士と言われる元議長さんや議員さんが御夫婦で亡くなったり、町営住宅の住人も多数亡くなり、私の親戚筋も2人の死亡を知り、親子でご主人の目の前で流され亡くなられた人達など、その悲劇の話に涙するばかりだった。
義理の叔母の確認を知人がし、火葬は登米市で私たち参加できる親戚でおこなった。友達の歯科医がチームを作り、被災地での支援活動を始めていた。
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あの慌ただしい日々から、現在は多くの皆さんの支援に、国の補助制度と、震災の地震保険の恩恵を受けた事と、高台に土地があった御蔭もあり、他の住民より少し早く地元再建ができた。仕事は半分に減少したが、生きていられ事と、家族と一緒に暮らせる幸せを感じている。多くの皆さんへ感謝・感謝である。昨日は自閉症のドキュメントで、男の子が「家族の笑顔を見る事を幸せと感じる瞬間です」と言っていた。私も多くの人たちに「笑顔を与える事を幸せ」と常々思う、この事に自閉症のこの男性がら学んだ。自閉症と言われながら、私たち健常者に無い物を持っていた。また、別の番組で夫婦の形を見て、何が幸せなのかを考えさせられる機会を得た。狭い視野での幸せの考え方は、己を醜い人間にしてしまっていた。
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