2015
04/27

街造りに思う


東山の下から天王前・天王山・新井田を望む。志津川の中央団地がこの先にできる。造成地・三陸道の残土を被災地に持って来て、嵩上げかと思いきや、また削り取り別な場所を持って行く、こうした事が幾度となく、被災地「南三陸町」で繰り替えされている。
今日、私と意を同じくする方が、「町の復興計画に意義あり」と言う。南三陸町の人口流出に行政職員・町長自らこの町に留まるよう働きかける事こそ今必要だ。町を出る方の情報は多かれ少なかれ町にはある。その情報を検収しながら、人口流出歯止めにトップ自ら動く事で、ひとりでも町に残る人ができる事こそ、今やらなければいけないと、意見の一致を見る。
志津川地区の3地区も40区画前後の、土地希望者が町の土地を必要としなくなっている。今日配布の「復興町づくりニュース」に町内11カ所の防集の土地が、56区画の入居者予定の土地が残っているので、募集している。
今年掲げた町の最大の課題として「人口流失阻止」があるが、政策をしていると言っても、結果が何処にも出ていない気がする。登米市への住民の移動は今後も進みそうだ。私の知人も現在町内に土地を造成し、3~4か月ぐらいで家が建てられると言う。志津川地区の三地区の高台の造成は、どう考えても今年・来年度と遅く、病院・役場の建設以上に早期造成をしないと、まだまだ流出は続く。
役場職員の登米市などへの住宅建設もあるので、住民の流出を行政は何も言えないだろう。この町で生きると言う人の為にも、行政の人口増加策に期待するしかないのか。安心して欲しい私は70歳のローンの完済までは、志津川を離れる訳にはいかない。
ブログ27.4.26
袖浜の10軒以上あった民宿は、5年目を迎え再建したのが2軒と、観光客の受け入れ体制は、地元関係では農家・漁業民宿を入れても、志津川地区に来る大型バス満席の客を宿泊させる施設はない。1千人余りの宿泊のホテルが志津川に一軒あるだけだ。
震災直後JR東日本のホテル建設と、民宿を一緒に建て貸し出す話も、いつの間にか無くなったようだ。大手のホテルは南三陸町の観光客の将来像を描き、集客の可能性と維持を分析し、ホテル建設へと歩を進める。石巻市・気仙沼市・登米市には相次いで、「ホテルルートイン」が去年以前に被災後建設された。しかし、町には参入と言う形のホテルはない。
こうした市場調査をしたうえでの町づくり計画かと言うと、被災流失した施設の復旧の交付金活用がありきで、多くの箱物を同等の規模で町は再建している。
町が想定する5年後の人口「13500人」を元にと言うなら、間違いなく五年後はこの数字になる。しかし、その後の人口増と言いながら、人口動向では10年後に1万人割れを、国の調査予測はしていた。
先を見通す想定の甘さばかり随所に発生する。町づくりの想定外に驚く。
JA南三陸が志津川福祉の里(旧志津川中学校)に7月のオープンを予定する。本所と志津川営業所の併設ながら、規模は以前より小さい。農協収入は保険・貸出・ローンなどが大部分とも聴く。
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