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2015
04/23

新しい街造り

被災後
伊里前地区に残土の壁ができ、今まで直ぐ脇の海の姿を見ながら歌津地区を走っていた。それが昨日はいつも見える海が見えなく、近くにあり海の状況が見えない恐怖に駆られた。一時的な状況ながら直ぐ隣に伊里前の商店街があり、想定外の自然災害が発生している自然界、想定外を想定する必要性を感じる。
全国の地方創生の交付金の資金活用で、街の活性化を様々な構想が始まっていた。ある都市は50万円で12万余分に買える商品券の発行で、最高限度の50万円まで購入者が続発し、1億円が1時間で完売した。行列の途中での売り切れとなる好評を得ていた。地元でしか使えないながら、被災地の現状とは違い地方商店の一時的活性化となる。また、5千円で1万円の温泉宿泊や、鳥取県の芸子さんの一席2万円が、1万5千円で見られるなど、土地独自の「地方創生」の交付金活用をしていた。塩竈市の3割増し券と言い、5千円で6500円が使え、総額9億?の活用だと思った。人口に比例し交付金の額も多くなる。地元買い物といっても生活用品に回す住民が多く、誰の為の交付金活用となるのか、被災地の状況を把握し、被災町民にとって必要な「地方創生」に交付金の使い道を行政には考えて欲しい。「自治体の色」がこんな所にも出て来る。
仙台の高校生が社会人なるにあたり、被災体験を生かす講演に出た時の写真集を見つけた。何も無くなった志津川市街地の基礎跡に、愛着と暖かさを残った基礎の土地に、過去の生活の姿を思い浮かべ感じた。何もなくなっても良かった町の生活を思い出す。今は赤土の盛り土の中に埋もれている。寂しさだけが募るが、「新しい町づくりなのだ」と考え、過去の姿に終止符を打つしかないのか。震災から写真を撮り続け、震災後の写真に4年の歩みと、苦しいの中で走り続けた時を思い出す。
CIMG0708.jpg
津波の悲惨さは瓦礫に覆われた「防災庁舎」がある。引き波に養殖の資材が山側の庁舎に引かっている。この光景と被災市街地の基礎瓦礫の姿は、大きな衝撃として私にはある。庁舎に関わられた住民の民意が大事で、諸々の商売での観光での保存は別と、この激しい悲惨な姿を思い考える。ここで何が起こったか、多くの人が亡くなっている事を考え、この場所でのこのままの保存は私にはない。町は「新しい町の再生」の為に、躊躇する事もなく、市街地のこれまでの歩みを全て打ち消すかのように、建設業者が土を10mも盛り上げていく。新しい町と古き町跡のどちらが好きかと言えば、54年間生きた何も無くなった街並の姿が好きで、このままの街再建ができたらと思う。
3000世帯の被災家屋があり、堤防と避難道路の確保をし、一世帯に3千万を支給し、総額900億で町が個々に建設され誕生でき、被災した数カ所をそのまま「被災遺構」として、被災した場所に区切って残し、津波の恐ろしさを継承したら、南三陸町は風化せず今後も残り、古き良き町として全国・世界から注目を浴びられる。こんな出来そうもない発想に一人思う。
今年3月ごろの志津川市街地の航空写真が、復興ニュースにあった、市街地は茶色一色となって志津川市街地がある。キャンパスの準備が整いつつある。後はどう住民が絵を描いて行くかで、ここに行政の縛りが無い事で、志津川町民の個々の性格の発揮でき、多様化の個性のある町ができる事を願っている。
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