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2015
04/03

新井田地区の今


志津川中央地区の中心場所となる土地が、造成がここまで進んでいる。津波前は山の前には町営住宅と多くの民家があり、国道沿いには海産物店・自動車会社など、多種多様な商店が地域の生活に密着してあった。しかし、今は何も無くなり、新しい街並が生まれようとしている。造成完了は28年度内を予定する。
裸山の小さな看板が見える、これが何だか分かる人は数少なく、私も知らなかった一人です。日曜に町の風景を撮影に行った折、中央区の全景とアップした写真で、何と書いてある看板かを知る事ができた。
「ここの盛り土高20.4m」とある。ここまで崩すのかと言うと情報はない。
CIMG0262.jpg
新井田地区は津波犠牲者が一番多かった地区でもある。親戚が密集してあった、造成山の下では親族が半分近く2ケタ亡くなられたと、震災後知人から聞いた。その他に海産店・自動車会社でも、家族全員が亡くなった。私の同級生と家族全員が亡くなり、別の両親も死亡している。
原因は何処にあるか考える。昭和35年のチリ津波はここまでの到達はなく、当時ここの町営住宅の知人宅に身を寄せた事を覚えている。「ここまで津波は来ないが」あった。津波発生当初は防災無線は生きていたが、津波襲来で「津波6m」「今志津川湾に襲来」「市街地に到達」など、多くの情報が内陸の新井田地区へ伝わっていたら、必ず避難行動がとれたと私は思う。高台に津波監視体制が南三陸町には無かった事も、多くの町民が亡くなられた原因にあげられる。
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