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2015
04/02

志津川小森地区の今


志津川市街地を襲った3.11の大津波の最終到達地点が写真の小森地区で、この場所あたりで親戚の消防署員の芳賀さんが発見されたと聞く。消防署前か? 老人ホーム下で、避難してきた町民の車の誘導中に津波で流された。この日は非番で地震発生で駆けつけ「殉職」した。一緒に避難活動をしていた方は、「芳賀さん早く逃げろよ」と言い残し助かった。津波の方向を確認しながらの活動と思うが、こんな大津波を想定はしていなかったのだろう。
多くの人々が市街地からこの津波最終到達地点まで流され、旧自動車教習所の場所で地形がくびれ、また広がる形でここに多くの瓦礫が集まった。

写真は現在進む三陸道の小森の国道398号に架かる高架橋で、黄色の覆いが目を引く。今年中のこの場所が「志津川IC」として開通を予定している。本当に今年の開通かと思う現状で、国の工事は多くのゼネコンが参画し、工事期間の遅れを許さない。業者も必死に開通に取り組んでいる。
CIMG0294.jpg
写真は「小森水源工事」と言う。震災時は町中の水源がことごとく被災し、辛うじて保呂毛の水源が生きて、飲料水の供給が2か月後あたりに復旧したと記憶する。戸倉地区は半年以上かかった。主要の助作の水源は海水の混入で、飲料水には適さない状況が続いた。
この場所への水源確保は、今回の100年に一度の大津波でも、この最終到達地点への町の水源確保は、当然の町の対策対応工事と思う。
津波の4日後に398号の道路の瓦礫が片付けられ、入谷から登米まで向かった。徒歩での数名の方々とすれ違った、子供を背負ったおじいさんが居た。知っている方で孫を入谷の親戚まで連れて行くと言う。この先には町に入れない車が動けなく、長い列を作っていた事を思い出す。人がやっと歩ける状況で、私も残った自転車で向かっていた。

昨日は南三陸町の阿部企画課長が、「パブリックコメント」の受け入れ箱の設置を説明した。防災庁舎の解体の有無について町民より意見を貰うと言う。公正な意見が多くの幅広い町民から出される事を祈るばかりだ。我が町は政治工作があらゆる機会で行われ、社会的モラルに欠ける人も少なくない。「これが政治だ」と言うかのようだ。志津川にとって、南三陸の町民に対し最善の結果が適正に、選択される事を願うばかりだ。ちなみに私は「この場所から移し、解体して別な形で保存すべき」と思い。町長が副町長が命を繋げたアンテナに触れたい。そこで亡くなられた多くの職員の声をアンテナを通し感じたい。
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