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2015
03/11

天皇陛下のお言葉に力


午後2時46分に4年目の追悼式典がアリーナで開催され、1500名以上の参列者があった。
「震災時と同じように小雪の舞い散る寒い今日」と全てで挨拶をした。
天皇陛下のお言葉は被災地の国民への労わりと、決して忘れる事の出来ない本当に恐ろしい物と感じた。とお述べになり、「国民皆が一つに寄り添って行く事が大切と思います。」「日頃の避難訓練と防災教育が必要である。」と震災の心がけをお話しになった。大災害の教訓が分かち合える事を願います。と最後に御言葉を下さった。

NHKの家族の震災写真で、震災は終わっていない事を知る。母と兄弟の三人暮らしでの弟の死は、兄に消防署員になる決断をさせた。母が一人で子供二人を育て、息子の死に母は一人残った子供の心情を理解し、子も育ててくれた母の弟を亡くした思いを理解していた。母はいまだに車での避難途中に流された場所には行けないと言う。兄も流されながら小6の弟の手を離してしまった事を今でも悔やんでいる。毎日、弟の食事を食卓に並べる事を4年も続けていた。
私の知人の親友の津波での死の状況を聞いた。家族は両親と息子家族の6人で、震災時両親はいち早く逃げたが、若い夫婦は子どもの帰りを待ち、避難の途中津波に車で呑まれた。雄勝に暮らす親友は、震災から電話が繋がらず、3か月後に雄勝を訪ね、家族4人の死を知ったと言い、残されたご両親に掛ける言葉も無くしたと話す。
震災での1分1秒に生死の境があり、車で逃げる事のリスクを改めて感じる。
南三陸町でも震災時の夜、女性が車で娘と子供が、目の前で流された話を聞いた。掛ける言葉を失った。
震災後の町づくりの道路整備は、避難路の確保の為二車線道路の整備を聞いた。今回の津波の現状を検証すれは当然の事だろう。

2011.3.11ももう5年目の一日が終わる、家族にとってそれぞれの震災がある。南三陸町の我が故郷の総ての住民総てが「鎮魂の日」ながら、町らは鎮魂や追悼の場所はいまだに無い。
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