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2015
03/07

震災の町で母校創立90周年


昨日は新たな事業展開の地元の会社の、チラシ広告の配布に登米地区を歩いた。「過疎の町になりました」、「佐藤さん・及川さんが近くに来ました」、人口増えましたかには「変わらない」と登米市民の声もあった。しかし、間違いなく南三陸町の住民は登米市に流れていた。親友の「登米市に家を建てます」は冷静を保つがショックだった。

志津川高校「創立90周年」の大看板が登校坂に立ち、その前を志津川西地区の高台造成の、残土の搬送にトラックが走る。70年・80年の記念誌作成には我が社が携わった。記念誌はもう津波で流され残っていないが、当時関わった先生と作成の苦労を今も思い出す。現在は卒業生の地元の印刷会社ながら、入札にさえ参加する事はできなかった。地元の企業を生かす「地域と共に」は、財政面から県の入札制度からは難しいようた。
ケンタッキーフライドチキンが10~30円値上げ、こんなニュースが朝あった。印刷業も紙・フートーなど「10%値上げ」と業者が伝えてきた。ダンピングで商売を続けていくのは無理で、お得意様にご理解頂き現在仕事を続ける。
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昨日、広島から知人の奥さんが一時帰宅をした。広島での南三陸町の現状を伝える為の、資料・写真を提供した。「南三陸町からの手紙」は大反響だったと言う。津波の生の体験を綴った町民の、体験記はこれからいろいろな震災に対する啓蒙の資料として、防災意識の向上にきっと役に立つ事と思う。広島の講演会を終え、今度は長崎で開催すると話す。南三陸町に居ながらにして、東大阪に手記を掲載し冊子に載ったり、ホームページ・ブログで見ていてくれる人たちも多く、震災の恐ろしさを伝える活動を、被災地に暮らしながら今後も伝えたい。
「錦もみじ」というお土産も頂いた。こうしたお土産などの物の交換も、互いの暮らす町の発信となる気がする。
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