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2015
03/06

夜明けが日一日と早く


今日も4時に目覚めた。夜は9時頃には就寝で、毎日こんな生活が続いている。
6時の私の部屋からの商工団地の工場地帯を望む、一般住宅は5%に満たなく、父は家の前を通る人は居なく、工場に向かう中国人の女性従業員だけだと言う。毎日、「人恋しい」といった感じた。ここしか生活する場所は無いのでしょうがないと、理解してもらっている。足も弱く耳も遠く93歳で、震災の次の年に「心臓ペースメーカー」も入れ、障害者となったのに介護認定は貰えず、多くの介護サービスを受けられないでいる。
政治活動のための「後援会」は、解散する事で進み、住宅建設での申告もある。定期の病院検査もあり、そんな私用の中で仕事もしないと、ローンが払えない。まだまだ多忙は続いている。震災で町の復興情報を町民の皆さんに伝える、「マイタウン情報」の発信も目の病気の為に、3か月も中断した。今月の中には26年10・11月の出来事を伝えたい。待っている方々がいる事が、復興活動の継続の大きな力となっている。
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志津川の高台となる中央区を、小学校側から望んだ。1年前の状況と見るからには何も変わっていない。新井田側からは予定地の山の森林は伐採され、大型トラックが山への急な坂を登り、造成で削られた残土を低地部に搬送していた。大工事は分かるが、住民の長引く土地の造成を待っていられない。
東京の目黒の商業土地開発があり、高層マンションと商店街の大型工事が進んでいる。土地の基礎と地下部分を終え、上層部の工事に入っていた。広さは東京ドームの大きさながら、後1年半で完成すると言う。完成予想図を見ると町の高台整備よりも遥かに大規模だった。大手ゼネコンの力は凄く、高台の造成と災害公営住宅の完成時期までの整備は、東京の工事状況から判断しても、予定どおりの完成は可能と思った。

2011.3.11まで6日となった。多くの追悼イベントや慰霊で、南三陸町には沢山の人々が訪れる。決してこの時期が観光であってはならない、と私は思う。昨夜なにげなく「自分で慰霊碑を建てればいいんじゃない」、なんて考えた。まだ町には慰霊の場がない。女川の「希望の鐘」をイギリスの王子の訪問は、世界に女川町を印象付けた。防災庁舎…。
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