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2015
02/25

私の想定する町の将来像に

旧志津川町は登米市に吸収合併になる。こんな噂を町民が囁くようになってきた。被災町民が仮設からの脱出に登米市を選び流出が続いている。これまで「こうならなければ良い」と思った事が次々に現実となっている。
西川農林水産大臣が辞任した。野党の質問を聞き何でも何度もうなずく態度、異様な光景に大臣としての資質を疑った。安倍総理の任命責任を今後野党は追及し、来年度予算の今年度成立は難しく、予算配分の遅れでの国の混乱の責任は西川議員にある。
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西川農林大臣の献金の返還が続き、違法性がないと思っていても、献金に疑問があると言われ、「朝一番で返した」と大臣は言っていた。
林業に関わる会社への国の補助があり、その会社から献金を受け、指摘され返還し、今度はTPPの交渉前に、製糖協会から献金を又受けていた。この団体も国から13億もの補助金を受け、団体からの献金返還が2・3日前の報道にあった。国の補助を受けた会社からの一年間は献金はできない決まりの中で、「会社と代表が違っている」など、制度の網の目を潜っての、政治献金を国会議員の立場を利用した、政治献金は後を絶たず、また同じ人間が「禁欲議員」として政治家を続けている。同じ議員が同じ罪を起こす事があるが、政治家の座から居なくなる事はない。本当に不思議な社会だ。

復興も失敗は許せない判断がトップに求められている。約束を守り責任を全うし、町民に恥じない政治政策と人間の真摯な資質を持つ人材が、町民の先頭に立つべきと思う。

被災者を隣町に仮設を建築した事が、人口の登米市への流出に繋がった事は、決断の失敗であり、職住分離政策の造成・建設時間のかかる場所への土地決定があった。南三陸町の存続と復興待った無の今の現状に、ここでも政策の二つの失敗を私は指摘する。
2011-07-08 05.27.27
こないだ気仙沼市の市議団が長崎県雲仙普賢岳の火砕流での、家屋の被災遺構の視察が新聞に掲載されていた。南三陸町議会でも総務委員会の鈴木委員長以下5名で、長崎市への視察に震災の翌年に行った。火砕流に埋もれたままで、特殊な建物で遺構全体を保存が2~3軒、一階部分は火砕流に埋もれ、二階部分を見下ろすように見学ができ、火砕流の巨大な被害を目の当たりにし、震災の怖さを後世に伝え残した。もう一つは火砕流の熱風に襲われた小学校で、その脇に3階の普賢岳の全貌と、火砕流への対策として防御壁の広く繋がる光景を見る事が出来た。
しかし、多くの施設への来場者は少なく、観光としての伝承館の隆盛はもう無かった気がした。
本当の震災遺構など、もう我が町には無い気がする。写真は水尻川の水門の機械室に絡まる、養殖施設の牡蠣と浮きがあり、津波で防潮堤は破壊され海が陸地を覆い、ポツンと4階の公営住宅が残った。当時、鈴木委員長は残った住宅の部屋を活用すべきと提案したが、斬新な提案を悧巧する事とはならなかった。
消滅した町の震災伝承の、本当の現実構造物は「高野会館」しか、もうないと思う。
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