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2015
02/08

水尻川の今


水尻橋は震災の津波で流出し、志津川市街地への侵入は入谷からの国道398号だけとなり、多くの一次避難所は数か月孤立の状態だった。
被災地の復旧は、自衛隊の緊急な橋の設置から、仮設の橋の建設があり今に至り、現在、本設の「水尻橋」の川中に橋の基礎工事進んでいる。背後は震災後の市街地の変化も少なく、市街地西側の「公園地区」はまだ一つとして、何を整備をするかの計画も決定しててない。
防災庁舎が県の管理下で32年まで、震災後から20年間の管理にしたいと村井知事の、打診が町に示された。今朝、知人が「八幡川西岸の河川堤防の設置を取りやめた」と聞いたが本当か。こんな電話が入り、「それは無いでしょう」と答えた。方向性が住宅建設数の減少、整備地の計画の変更など、色々変わる南三陸町の復興計画がある中で、私の町では何があっても「復興の為」と言う名目で、なんでもできる行政決定がある。しかし、街づくりの遅れでの人口流出であり、町民が戻っての町の財源の確保が出来ない。
女川町の復興の形とは、被害と地域性からも同等な町ながら、復興の進捗は大きく違う。行政トップの揺るぎない復興の形と、意気込みと熱意の違いを思う。危機感の違いが一番大きい。
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水尻水門は今も震災後のままで、今年のサケの遡上も厳しかったようだ。気仙沼の大川と小泉川のサケの回帰率は被災前に戻ってきている。女川港の水揚げも被災前に戻り、水産業の再建を言うのなら、大型船の入港を考えた、港・市場づくのをし、仲買の形態の改革は元より、漁協の県漁協の指導の元での組織改革と、若者の働ける魅力ある水産業と、漁業者の受け入れ、所得の向上と職員のスリム化など、町と同様取り組む事は多くある。
以前は全国で12000組合が、現在600組合となり、農協のトップに君臨する「農協中央会」の改革が国会で議論される。無駄を無くしその分農家の収入につながる農業全体の改変が、世界的「関税撤廃」のTPPへの対策と言う。農協への監査と、上納金・指導など、大きくなった力の分散が目的なのだろう。族議員は保守自民党の中でも反発する議員も多い中で、将来に向けた取り組みと思う。

後藤健二氏は言っていた。「子供に寄り添い」「子供の声になりたい」「誰も聞かない小さな声に耳を傾け伝える」、こんな事を生前いっていた。後藤さんの気持ちを繋ぐ事で、後藤さんの魂は生きている。将来への国の将来は子ども達に託される。子どもへの教育と、育つ家庭の在り方を国が支援し、考える時代となった。父は言う「今の事件は教育の低下にある」と。
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