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2015
02/02

流出した旧庁舎玄関に立つ


昨年からの病院の入院・通院があり、年末の多忙で半年ぶりに防災対策庁舎に行った。この日もワゴン車から8人位が下車し、祭壇に手を合わせていた。二つのお地蔵様が祀られ、私も手を合わせたが、ここでの混乱の生と死の生きざまは想像もできない。
早く「慰霊碑建立」と言う、議会で被災した小野寺さんの父親の、歌津の千葉さんが県知事の来町に、「早期解体と慰霊碑」の要望を、メディアに向け話す姿を思い出した。小野寺さんは議会で広報を担当した時に、新人への気遣いと、関わる業者への対応に、毅然として全てへの謙虚な姿勢を思い出す。

いまだに旧庁舎の基礎が残り、その向かいの川にこんなにも近い事に驚く。前の川岸護岸のカーブしている所に、津波で殉職した前々議長の佐藤栄さんが、護岸から川の様子を伺っていた姿が蘇る。栄さんの前を自転車で通り、声を掛け合ったかは定かではない。

昨日は戸倉「藤浜団地」から防災庁舎、そして本浜から大森地区へ、最後に袖浜に向かった。海水浴場は震災から何一つ変わっていないが、袖浜地区の漁港整備は進み、漁港を取り巻くように遊歩道が、以前より嵩上げされ整備が終わっていた。
震災復旧は漁港も改修工事は必要だが、なぜ大規模な住宅団地整備がこんなにも時間がかかるのだろうか。志津川市街地の大森から南町までの防潮堤建設は、平成28年3月末までと工事期間の看板が立っていた。国・県の管轄工事は災害復旧の委建設者も入札決定し、期間内の完成を目指し急ビッタで進んでいた。

後藤健二氏のこれまでの活動を讃えた、「健二基金」の創設を仲間のジャーナリストには、彼の活動の姿を残すためにも設立して欲しい。何もしないと絶対忘れ去られ「風化する」、毎年募金には応じたい。可哀そうだ、悲しい出来事から、一歩進んだ彼の功績を継承する活動を、全世界の弱者と言われる、子ども・女性の救済に充ててもらいたい。
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