FC2ブログ

2015
01/04

御年始


今年は自宅療養を医師より指示され、寝正月のつもりで生活している。昨日は欠かせない神棚飾りを貰いにと、菩提寺に年始の挨拶をしてきた。
昨年の11~12月は不幸が2つあり正月はしないと決めていたので、家でおとなしくしていた。父は誰も来ないと寂しがってはいるものの、不幸に関係なく被災地の住民の正月はこんなものだろう。
商工団地内に自宅工場にしたせいでなく、震災により近所の人達や親戚縁者は我が家を訪れる事は難しく、年明けは従弟が家族で来て、義理の叔父か来たくらいだ。私の兄弟も年齢と共に実家が遠くなっているようだ。年明けの父との話で、「これでいいんだ」と話し合った。
元日は津波前なら新聞のチラシの数を競った時期もあったが、それも商店の隆盛も町にはなくなり、今年の震災後のチラシも商店街のチラシが、50枚の中に1枚あったと父は言う。町の過疎化が進んでいる現状を確認する。復興交付金で被災した公的施設の復旧が充てられるが、総ての施設が以前同様に必要だろうか。この町で生き続ける住民にはあった形での再建で良いが、町で維持できる税収が今後確保できるかと言うとできない。住民サービスの人口減は大きな影響がある事を多くの残った町民は知らない。
私は2年後5年後10年後を見据えた生活をしようと思う。計画どおり行かない事は理解している。小さな家庭ではあるがローン返済が一番で、会社利益と個人資金と7年後の年金で、借金を「0」にする事を考える。5年前倒しで10年後を予定する。これができるのは私が健康と安定経営があってこそと思う。
後、一年半で「生命保険」「国民年金」の支払が終わる。精神的にも生活で安心できる部分です。小さな生活の安定が年とともに私の願いだ。
この計画が狂ったら土地も家も、強い愛着は今は無く、こんな津波を体験し「生きてさえいれば」との気持ちが強くなった。

スポンサーサイト



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:21 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP