FC2ブログ

2014
12/08

町のスポ-クスマン


土曜日にNHKのスペシャルドキュメントで、現在は南方の一期仮設自治会長といて活躍する宮川さんが、当時の志津川市街地の「ジオラマ」作成に、全国の大学の建築学生と共に、震災以前の風景を思い起こし市街地模型に助言していた。南方仮設の集会所が作成場所のようで、汐入の芳賀さんや大工の佐藤さんが、その作成中の模型に涙し参加していた。
天王前に「私の家はここにありました」と、東山公園の下を示し、東山の桜と椿の満開の光景をもっと華々しくと学生に注文し、志津川湾の養殖イカダは沢山あり賑やかだった事を伝えた。流出した被災町民の町の想い出は、一人ひとりが鮮明にその姿を記憶していた。
141205_193253.jpg
志津川地区の桜の名勝であり、津波避難所としての場所である「東山公園」にしばらくぶりで、階段を一歩ずつ踏みしめ上がる。市街地襲来の皆さんの避難行動のドラマがここにあった。
現在の志津川地区の嵩上げの状況が一目で解る。45号のアスファルトがはがされ全ての土地に土が盛られる。しかし、本浜の一軒だけが今も残っている。今になって思うが私も瓦礫の撤去もせずに、震災遺構として我が家我が社をそのままで残すくらいの土地に対する愛着を持って、震災復興計画の意義異議・抵抗をしてもよかったと思う。行政の成すがままの町づくりの危うさに毎日継承を鳴らしている。




スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:42 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP