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2014
08/25

命の道は住民の利便性へと


朝6時20分に仙台へ、志津川商工団地から仙台卸町に、「三陸道」の津山ICから東ICで下り、1時間15分で到着した。用事を2件を済ませ11時10分に帰宅した。東北大学病院・石巻日赤病院の高度医療も簡単に受診ができ、日帰りでも容易になる。南三陸病院の将来の経営に不安が募る。

町に思う1
6月・7月と同級生や知人の両親が亡くなられた。この地で生まれ生きてきて80年そして90年になり、津波や多くの苦難があり、志津川・戸倉地区で生き抜き、これまで町にずーと暮らし行政を支える税金を納め、町の生業を支えてきた。

東京への生活を選択し親の老いを家族は最後まで見届けた。仕方なく町を離れた厳しい決断でも、菩提寺の先祖の墓に母を納める。宮城県の為の復興復旧に、自分の生活の為に、仕方なく隣町の生活を選んだ同級生もいる。我が町での早期の再建を願うも土地が無く生活環境も無い震災直後は、残された家族で母を介護したと聞く。しかし、この同級生の親の死が「みなみさんりく広報」には掲載されなかった気がする。葬儀で案内を頂いた親戚・近隣者のみの、ささやかな告別式で、平時なら多くの人たちの参列を頂き、故人を忍びその最後を喪主が皆さんに伝え、故人の事を思い出す。ひと時でも我が親の生き様を知ってもらいたいがある。
昨日も突然、病院に行っていた私の携帯が鳴った。世帯主が南三陸町で暮らしていても、その家族が亡くなっても、広報誌で南三陸町の全世帯に「なぜ伝える事はできないの」と、行政へのお願いの要望があった。私の母親も現在介護施設に入所し、住所は施設に在り郵便物もそちらに届く。しかし、皆が諸々の事情で町内の施設とはいかない。たぶん住所が地元でない為に、「みなみさんりく広報」には載せられないだろう。
南三陸町の震災による仮設生活者やみなし仮設生活者は、住民基本台帳に記載されてはいるが、みなし仮設で他の地に移り住み、その地の施設に両親がお世話になる実情もある。今回の被災は100年の一度の現状がある中で、南三陸町の住民に「私の両親の死を伝えたい」、こんなささやかな願いを行政は聴いてはくれないものか。広報の最後のページの裏面に死亡欄への10文字、なぜ載せられないのか。震災でやむ無くの悲劇であり、住民への行政震災対応として、希望のある方には掲載してもなんの問題もない。
なぜできないのかを広報発行の企画課に聴きに行きたい。そこがダメだと町長・副町長と言う事になる。

町に思う2
表だって住民は話していないが、移転が遅れている志津川市街地の再建の在り方に、不安と異議を話す人々の、悩みをもっと行政は聴くべきと思う。

昨日のラジオから「隈研吾氏のグランドデザイン」と題した番組を偶然ところどころだが聞く。被災地の再建の構想を流暢な話し方は、強い説得力を感じる。この隈氏の被災地の表現が許された経緯は、知る人しか知らない。国だったり、UR都市機構だったりする。南三陸町町長が市街地の中心再生が、自分の町づくりに合致し、こんな他に類を見ない一大構想へと今歩んでいる。
地元紙にも「熊氏のデザイン実現へ」とあり、住民総てが納得しての方策なのか疑問だ。新しく市街地構想は将来への税収確保が最大目的で、その根底に観光商工の発展があり、農林水産業の復興の為にもこれしかないと言う。こんな構想に住民生活の再建もあると言うが、私には正しい方向性を感じる事はできない。市街地に住民が住む事を基本とし、それに生業と言う水産・農業により商工が成り立ち観光へと繋がる。昔からの生活スタイルが町にあり、ここまで町が繁栄し輝かしい町の伝統を続けて来た。多くの災害があれど、ここまで町を変えた事が本当に正解なのかは、復興計画の10年が終わる頃には、町長政策が成功だったのかが見えてくる。

「太陽光発電」が原発の依存から自然エネルギーの変換へと世論が動く中で、当初から議会・町づくり協議会で、建設される住宅へ「太陽光パネル設置はできないのか」との、質問が町・UR都市機構の職員に出されたが、制度上できないとの答えが続いた。金曜日の第8回臨時議会の会議で、行政より学校など公的施設に「太陽光発電」「蓄電器」の設置を10カ所にすると言う。その見積入札に「地元企業の入札はあったのか」と、歌津の三浦議員が行政に問う光景が、役場窓口の前のテンビのネット放送で、偶然に放送され見た。入札業者は1社で落札したと聞いた。被災から3年6か月となり、被災自治体の再建も折り返しとなり、太陽光発電の関連会社とて、既に工事の発注・受注し、入札参入者は少なく、何とか入札を成立させたい自治体は、予定価格の増額などを講じ、国の復興交付金申請の期限もあり、通常以上の高額で落札をしている。国の被災地交付金だからとか、高額になっても自分の懐に影響はない等、他力の町再建で良いのだろうか。身の丈にあった町づくりをと私は思う。復興後の管理費・維持費は再建後町民の負担となる。

東京オリンピックや全国での台風被害があり、予算も建設業者も不足する事を、常々心配する。早期の再建政策の決定で、業者・予算も確保・削減できるのに、その影響が将来の町財政に響く事を私は懸念する。「誰がその責任を取るの」、100年に一時の大震災だからは、その理由にはならない。
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