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2014
08/13

地域の再生も繋がりもバラバラの町づくり


静かな穏やかなお盆の時期を迎えた。13日~17日までの会社が休みとなり、明日のお墓詣りの準備をしている。花・お菓子・ダンゴ・線香の持ち物を作り、今年のお盆に何とか間に合った、仏壇の揚げ物やお寺からの「六地蔵」を父が飾った。この地に続くお盆の習慣を継続する事が、千葉家の最後の家督としての使命で、何としても一日でも多く千葉家の続けるプライドだけで、この志津川を生き抜いている。

十日町の旧世帯数は200戸以上あったが、現在の戸数「15戸」となった。上の山緑地避難場所の奥にある写真の所だけが残った事になる。中央にいま建築中の自宅は、津波で流失した家の方の再建と思う。100年の一度の津波が再度来たなら、地盤沈下もあり再度流出を覚悟しての建設となる。志津川市街地も10mの嵩上げ、今回の津波の3階建ての屋上までの襲来なら、市街地計画の商店街とてその被害は逃れる事はできないだろう。多くのリスクを背負い再建をしている低地部の再生計画に疑問を思う。気仙沼・仙台・石巻などは5m前後の嵩上げで、市街地の再生を目指す。「10mの嵩上げ地での再建ならこの場所で」と、言う方も少なくは無い。ベルトコンベアーで大森・沼田からの土取り盛り土なら、もう嵩上げは終わっていたかも知れない。
旧行政区は志津川市街地からの3カ所の高台移転で100世帯余りが、行政区・親戚・友人でのグループの戸建移転と言う。五日町・本浜・南町・大森地区の昔ながら地域の再生は叶わぬ夢となった。元の場所なら地域の再生はできたが、高台分離はいったい誰が決めたのだろう。議会でも都市計画でも高台分離の元の、町づくり再建へと進んでいる。
町づくりの協議会でも私が元の部分への再建なら、町づくり委員など参加の意味がない。しかし、住民の再建の一助が最大の現時点での、私ができる役目と勝手に思っている。
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上の山公園入口は市街地の「う回路」の頂点に位置し、残り3mしか今は無く、15軒の住宅・保育所へもう回路からは行く事ができない。こんな不便な復興途上の生活が何時まで続くのだろう。苦しみ頑張った高齢者の道半ばでの逝去は、いったい誰が原因の元なのかを議論する事が必要で、「住民と議会の懇談会」が今後開催される予定と言うが、今の私では「なぜ!」との疑問ばかりで、鬱憤の消化不良になりそうだ。
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