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2014
08/02

志津川町の良き風景と歴史が無くなる


7月28日記載
私が主張してきたことは間違っていたのか?
行政トップや全ての職員の報酬を10%のカットで、生活弱者への被災地支援に充てる。決してパフォーマンスではなく、今、町を出るか残るかの境目で悩む方も多くいる。この町の政策に共感し、町で生き抜く事の気持ちを持ってもらう。「もう少し頑張って、南三陸町で早期の再建を、共に誓い合いましょう」と、行政が発信すれば、綺麗ごとというかも知れないが、住民は優しく、行政も町民と共にある。こんな気持ちになれば、あの素晴らしい町の再建ができる。

報酬カットの資金を被災弱者へは、今回「安倍首相の政策」の、国家公務員の退職金・報酬見直し、総人件費抑制を言い、5年間で10%をめざし合理化を図る。社会保障の資金確保・高齢化による医療増加など、これからの国民生活への資金確保がある。国のタブーな面への、政府の介入に期待したい。
企業の報酬が「三本の矢」で増加が続き動いている。大企業の報酬が公務員給与の基準となっている中で、今の現状での報酬カットへの公務員の理解は難しいが、将来の国民生活の安定を図る為への担保とて考えている。

復興交付金での税収不足の補てんで、行政の給与報酬に回している。町の仮設病院の3億円は、新病院の建設で解体される。その他にも役場・図書館など、10億を超える義援金・支援金が、施設の解体で無駄となる。
復興への資金は「国民の血税」で無駄にはできない事、将来の町の為に健全財政の実現を今から進めないといけない。被災地で町再建の交付金は国からくるが、もっと被災町民の為の財源を確保すべきで、町への義援金もまだあるようだ。「この町で死にたい」、こんな微かな願いに行政は答える為にも、職員の20%報酬カットは実施して欲しい。「私たちも苦しいんです」と言う職員もいた。もっと苦しい被災町民は、仕事も見つからない・高齢者の介護など、少しでも生活者を癒す経費の捻出をすべきと思う。「頑張る人を応援する」との、被災前のトップの言葉は、こんな被災した環境でも行政トップ・副トップのあるようだ。商工出身と行政職員出身の、新しい町づくりへの考えの弊害に、町民は気づくべきながら、従来の地方選挙がまかり通っている。他の市町村に学ぼう。

7月29日記載
気仙沼の岩井崎で、天皇陛下が御出でになった時に、私の高校時代の物理の恩師が、三陸海岸の「ジオパーク」の説明をしていた。
写真は人口海水浴場の「サンオーレ袖浜」で、観光の場所として復旧復興をなぜ早期に進めないのか疑問だ。危険だからがあるが、砂浜は何とか残ったし、岩場とて活用のしかたで何とかなる。石段も残り少しの整備と、観光客の海水浴場として環境の整備をすれば、志津川に残った若い家族連れも、子供と触れ合う場所として、格好の場所と私はおもう。南三陸町にはこんなにも良い自然がある。これを利用しない訳が判らない。

受け皿が整っていないもある。「民宿整備」に町は進んで取り組んでいない為に、志津川の民宿の再建は1軒だけにとどまっている。何でといえば、商店への来客の減少をさせたくないがある。民宿での料理の、うには勿論、他にもホヤ・ホタテ・カキなど、安価でたらふくに食べられるのに、商店街への町独特の配慮が、我が町の被災地の行政がある。来町者は高い高いと私に言うが、復興観光支援で苦情は言わず、美味しいと食べて帰る。

町には今日も平日と言うのに観光客がいっぱい来ている。週末となれば夏休み期間は、普通の10倍20倍の人出となり、売り上げも比例する。
住宅再建が後回しの被災地の復興の在り方は絶対間違っている。災害公営住宅希望は「個別面談」があるだけで、その以上なんの進展もなく、不安だけが募っていくと入居希望者は言う。私は現在の復興の進め方は、人が町から出て行く事へ、何の対策も配慮も無しに進んでいる。

仲間も登米市に親の介護の為に家を建てた。登米市の布施市長からの弔電は実に良かった。町からはいつもと同じ内容で、心遣いの足りない言葉に落胆かる。なんども聞きなれているせいで、そう感じるのかも知れない。南三陸町に帰って来れずに亡くなられた町民への、謝罪の一筋でも良いから挿入すればいいのにと思う。登米市への移転を余儀なくされた住民も、南三陸町の暖かさを再確認し、ふるさとへのありがたさと感謝の気持ちが心に残るのに、多くの配慮に欠ける行政と思う。県知事からの弔電が届いたが、内容も一味違っていた。

7月30日記載
半月前は棟上げの途中だった平磯の造成地は。その向こうには新しく足場が組まれ、手前では基礎工事の準備が進んでいた。
「自己再建」が土地を求め進む中で、町の団地と呼ばれる造成区域は、28年度の完了として進められている。「土地さえあればすぐ建てたい」と、多くの住民は口々に言っている。しかし、復興計画の中でその計画への時間の短縮は、今の行政の体制では無理のようだ。
2年の仮設住宅の土地の提供があり3年目を過ぎた。今後の土地確保から住宅建設まで、町の上層部の方の言葉に、造成2年、建築繁忙期時には2年3年と待たされる。こんな将来の状況から、土地が取得できれば、一日も早く住宅建設へと動く。住民の方が行政より迅速行動を取っている。

現在、仮設住宅の土地の提供者が、「土地返却」を求めている。何故なら仮設の必要性がまだ4・5年が必要とされる。土地の提供者もここまで待てないからの、行政への返却を求めての事だろう。
阪神淡路は最長7年だったと思う。東日本大震災は当初から10年・15年と言われ続けている。「時間を掛けてじっくり整備」、果たしてこれでいいのだろうか。2~3日前、志津川地区中央の小学校裏あたりに、ヘリのホバリングが2日間続いた。造成地の写真撮影と思っていたら、工事現場への資材運びだった。

震災から3年が過ぎ、工場・住宅建設移転が終わり、細々と仕事をしなから町の変化を見続けたい。中央区の居住希望者の、まちづくりの議論が始まったと、三陸新報は伝えていた。私にも昨日「志津川地区まちづくり協議会輝くみらいづくり部会」の委任状が届いた。高台の移転の議論の中枢への参加が私にはできない。私たちの提言がどこまで町づくりに生かされるか、今でも疑問がある。
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