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2014
07/22

岩手の被災地を見て


昨日は陸前高田のベルトコンベアーによる、山からの被災低地部への土盛りの事業を見に行ってきた。「凄い!」の一言だが、被災地の状況は場所によって大分違っていた。気仙沼・石巻があるが、市レベルの大都市と比べると、陸前高田の元の市街地は跡形もなく、その被害の大きい事を理解する。観光地だった市街地は何一つ残っていなく、市街地再建はその規模と言い「我が町」とは比べようがない。こんな状況から「ベルトコンベアー」による土取り盛り土再建
を選択したのだろう。大型トラックを一部の地域では見るものの、ベルトコンベアーの集合体の周辺では、昨日の仕事をしていたようだが、トラックの姿は無いに等しかった。
CIMG7857.jpg
「高田一本松」には多くの観光客が、駐車場からの道のりを2Kを徒歩で歩く、往復で40分以上も掛かった。中央の高台の展望台が設置され、多くの人たちが全貌を見渡せるよう建設されていた。土の積まれた他の場所には、「14.1m」と嵩上げが表示されていた。高台からの一本松は、コンベアのベルト通路により阻まれ、観光の為よりも被災地の復旧を優先という状況が見て取れた。駐車場にはキーホルダーなどのお土産物店が、小さな屋根の施設だけだった。市の被災地の商店街も内陸へ2~3K走り、小さな商店街が数カ所あり、さんさん商店街とは大きく違っていた。これが被災地の状況の違いは、何に主眼を置いて復旧するかの、行政とトップの判断にある。隣の大船渡は高田に比べると、その被害の大きさは地形によって、平地部の多さ、津波の方向とリアス海岸の地形によって大きく違う。CIMG7834.jpg
テレビで見て知る「高田松原の一本松」とはだいぶ違う。一本松の下には被災した建物が今も残り、コンベアの先には大きな山が、まだまだ大きく山肌をそのままに、今後もここから低地部への盛り土が切り出される。多くの時間が我が町以上に掛かりそうだ。高田の街の入口には「小学校」の校舎が、まだ解体される事無く、コンクリートの地肌をむき出しにしていた。「児童は大丈夫だったのだろうか」と、その海の川の近さを見て心配する。
ここまでする意味を自分にも問う。震災後の女川町や牡鹿半島、女川原発の周辺への被災状況を見に行った。「政務調査費」がある訳でもなく、議員活動としての当然の事と、自己の再建がある中での行動は、町民に恥じる事ない行動と胸を張りたい。被災地南三陸町の情報とて「南三陸マイタウン情報」として被災の年の7月から、月一回の発行は実費で、ここので30号を数える。こうした事があと何か月できるだろうか。南三陸町で暮らす人を現在は中心に2600枚配る。
「南三陸町の街でまた皆さんと前のように暮らしたい」との気持ちからながら、いつまで活動が続けられるか、自分の懐と相談している。
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