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2014
04/26

誰の為の町づくり10

「防災庁舎は残した方が観光の為になる」と来社した方が言っていた。
私は殉職遺族の意向を前面に支持し、当初は早期解体を行政に訴えた。1年が過ぎ進まぬ庁舎の解体に、「残すなら移築や保存の方法を模索しては」と、防災庁舎の前で「Vサイン」の記念写真に心が痛んだ事を今も思い出す。その後町に「震災支援」で多くの人が「南三陸町」を訪れてくれる、この姿は防災庁舎を中心に集まり、その効果の大きさを知る。しかし、そのままであの記憶で苦しむ人も、今もいる事を私は知っているし、忘れて風化しないようにしていきたい。

20081005_DCPR出発式@志津川駅_IMG_3996

被災前の志津川駅の「あさひ幼稚園」の鼓笛隊の風景写真がブログに残っていた。私の同級生の「石田屋」の看板も写っている。あの賑やかな駅前の再建は、私が生きている内は望めないだろう。
現在町の人口はある筋から「1万2500人」と聞いた。こないだ仲間が集まり、その話だと「町の人口が1万人を割る」との噂も、まんざらではない気がする。「商売はなるのだろうか」「税金が高くなるのでは」など、心配と不安ばかりが頭を過る。私はいいが、南三陸町で暮らしていく、これからの若者と、その子供の行く末が心配だ。復興計画では人口が減少しては行くが、これが落ち着き、人が戻ってくる。「出る人はしょうがない」的な発想は、あってはいけないと私は思う。
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