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2014
03/20

偶然の発見と出会い


南三陸産牡蠣と言えば第一に「志津川牡蠣」、そして昨年から本格的始まった「戸倉牡蠣」と思っていた。夕方定時のニュース番組を見た。そこには自力で「牡蠣養殖再建」に奔走してきた、牡蠣漁業の歌津の千葉さんが写しだされていた。
震災三年目にやっと牡蠣の出荷ができると涙を見せた。全てを失って今まで関わった牡蠣養殖の再建に。多くの多難の末にりっぱな大きい牡蠣を生産できた。最終段階の「牡蠣の滅菌施設」の設備整備に、1500万円の資金が最大利カベとしてあった時、千葉さんの牡蠣再生の活動に感動し、支援金を寄贈して下さって方が現れ、今回の初出荷となった。その感謝とこれまでの苦悩の涙だった。
「頑張る漁業」による地域の水産業再生が主流で、団体での水産業の早期再建が、南三陸町の沿岸漁業救済で、現在漁場の再生となった。
そんな中で昨日石巻の同級生が来た。お彼岸という事でお墓に来たと言う、彼が言うには会社の船も流され新造船は、政府の支援・指導により操業がはじめられた。しかし、会社・乗組員も漁獲した巻き網の魚に手をつけられないと言っていた。これも「頑張る漁業」だった。残りあと一年、自力での漁業の次のステップへと移る。

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家族で笑顔で仕事が出来る環境は、全ての被災者が望み考える状況だが、全ての町民に多大の影響を及ぼした東日本大震災、町の復興計画の元「職住分離」の、町長の考えで低地部の観光・商工の再生と、高台の生活の場確保で、現在建設会社がUR主導の元で進んでいる。
昨日仙台の甥っ子が電話をくれた。仙台でも工事・建設の入札不調と話し、資材・建設費は1.5倍と言い、建設期間の延長も当然のように起こっていると話す。防集での土地取得しても自宅建設の大変さを思う。震災10年後の平成32年に家に入れるか、60歳を超え仮設で生活する人たちが、自分の家に移り住む事が可能かと、大変さばかりが脳裏を駆け巡る。
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