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2014
03/12

とうさんありがとう


東日本大震災3周年追悼式典が全国で開催された。南三陸町でも2千人を超える遺族・町民、関係者が集まったが、この日は特別な日と皆が捉えている。しかし、4年目を迎え一つの区切りとしての考えもある。風化もあるし東京オリンピックもあり、何時まで「我が町」を忘れる事無く、人々がいてくれるかと思う。女川町が人口の28%流出で、コンパクトシティーでの早期建を目指す。我が町は18%の減少があり、市街地再生があり住宅地造成の順に、町は事業の展開を進めている。名取市閖上は商店主たちの活動で、「朝市」は現在被災前の1.5倍の集客をしている。町との違いは商店主が一体になれない、商店の廃業・自己再建・「あの人達とはいやだ」と一部の声も囁かれる。
昨日は役場職員の殉職者の息子さんが、「遺族代表の言葉」を語った。阿部慶一は入谷出身で、中学時代の私の剣道ライバルでもあり、議員としての時に同僚として町の事業に関して議論もした。初めての執行部との親睦会で、私の隣りに座ったのが偶然にも彼だった。今も思い出す「行政は色々あるんだ」と彼は言い、私は「おかしいだろう」と言った。こんなやり取りからお酒が進み、同じ剣道仲間だった勝倉と、剣道・行政の事を話した。
志津川夏祭りの剣道大会個人戦の準決勝で彼と対戦したのが初めてだった。余り記憶にないが負けたものの、その悔しさは一つも無かった。その後も入谷の中学生の指導者として、私は志津川の指導者として戦った。いい思い出であり、息子さんも志中武道館で練習にきていた。
遺族の言葉では、彼の卒業の時らしく、その時に伝えられなかった言葉を伝えた。「とうさん無事卒業したよ。4年間ありがとう。4年目を迎え努力する約束をします。」と檀上で語った。こうした若者たちに南三陸町の未来はかかっている。
話しでは阿部君の二人の息子さんも就職したと聞くが、私は道半ばで亡くなった阿部慶一の為にも、「町の職員として働いては」と助言をしたが、その願いは叶わなかった。
被災地の若手の地元定着には、工場・企業などの働く場が必要と、給料制度も将来に繋がる形態でないと、若者は残らない。我が社も被災後の雇用は厳しく、賃金とて恥ずかしい限りである。
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