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2014
02/23

過去の災害記録を基準にならない


NHKの大震災の記憶は今日は「閖上」地区だった。この場所の津波襲来のあの時を、何人かの人たちが振り返る。
閖上大橋は名取市に繋がる橋で、5差路手前の橋であり、事故が発生し交差点は大渋滞となった。中学生を亡くした母親が当時の事を話していた。閖上地区には4千人が住んでいたが、誰一人こんな大きな津波が来るとは予想はしなかった。と言い切る。そんな中で一番目に避難したのが二階のある公民館で、防災無線が壊れ、微かな放送で「10mの津波」と聞き、少し先の閖上中学校にバラバラで逃げた。息子さんは2週間後に瓦礫の中から発見された。母は息子は中学校をめざし逃げる途中で、津波に飲み込まれたと確信する。そして中学校に「慰霊碑」を亡くなった中学生と共に名を刻んだ。息子が目指していたのはこの学校で、ここしか慰霊碑を建てる場所はないと、賛同する方々と建立した。一年後に「語り部」となり被災の事を風化させてはいけないと活動をしていた。初めは被災地でピースサインで記念写真を撮ってる姿に、心が煮えくり返ったと感じていた。しかし、今は何回も来てくれる事に感謝と言う。震災で亡くなった方々の思いや、津波は怖いもので地震が来たら逃げる事を伝えて生きないという。閖上には昭和8年に昭和大津波が襲来し、その慰霊碑には「地震が来たら津波の用心」と刻まれていた。
私も多くの方々が被災で防災庁舎を訪れ、庁舎の前での「ピースサイン姿」を見てきた。やはり同様の気持ちになった事を思い出す。
岩手県大船渡の70歳ぐらいの男性の、被災地を見ると土地の整地は進んでいるが、早期復興の姿が見えてこないと話す。人口が減り過疎化の町にならないよう、早く対策を講じないといけないと、NHKのテレビでメッセージを送った。
我が町の町民はどう考えているのか、行政への町民の異議は私には見えてこない。写真は閖上中学校で450人?が助かり、5差路の高架歩道橋では40名余りが津波から難を逃れ、津波で流されていた女の人を一人ながら助け、雪の降る夜はみんなで服を貸してあげたと言う。閖上では750名が亡くなり40名が今も行方不明だと言う。震災直後は閖上の海岸線に数百体という遺体が、上空から発見されたと報道があった。
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