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2013
11/12

津波の教えの碑の下で


昨日は午前に気仙沼に出かけ、納税証明書をもらいに行った。
震災から2年8か月の経つこの日、月命日でもあり、警察・消防の不明者捜索が展開されているとラジオは伝えていた。
震災から4か月目には事業の一部を再開した。国民金融公庫からの借り入れで、設備の一部を整備し始めた。自分自身での二分の一の事業再建補助事業の申請で、5百万円の補助が5か月間を要して交付された。そして今日に「事業復興型雇用創出助成金」の申請に県庁まで出かける。多くの書類の提出に各所を奔走し1週間掛かった。勿論一回で申請が済む訳もなく、何回か県庁に出向く事は必至だ。
県の助成金申請は国庫資金であり、助成の審査は厳しく事業再建助成でも、やり取りが5回で最終でも、2人の県職員が書類の不備と計画確認で来社し、これで全てが済み振込となった。書類は幾度となく書き直した。私の知能のなさにも原因はある。
多くはコンサルタントや商工・観光・会議所などが仲介役として、書類作成を支援してくれる。人との係わりや一緒に事にあたる事が苦手で、一人で夜も眠らず目標に向かうのが私のこれまでの生き方でした。
今回の選挙も多くの人たちとの接点もあったが、情報作成の自己のノウハウを最大限に活用しアピールしたが、一方通行だった事は否めない。
昨日は地域の人達の何軒かに顔をだした。「本浜地区の再建に取り組みます」と会報を配った。その中で今回の選挙は「今まで来ない人が多く来た」と言う。仮設生活者の一軒一軒を各議員が、直接顔を出し名刺を配り「お願いします」と回ったという。人と直接会う事の大切さと必要が、投票行動に繋がった結果を知る。判ってはいたが私には「新聞」「会報」で活動を伝えたとの自信があった。しかし、直性会い話す事で印象はまるで違うと言う。おごりと過信があった。「千葉君大丈夫だよ、新聞を被災後も続けてるんだもの、これは大きい!」と同僚の一言にやられた。この過信が仇となった。自分の甘さその物だった。
57年間生きてきて、その性格は変わる事もなく、今後も自分のやり方で生きていく。小泉地区の「津波教え」は大きい地震が来たら逃げる。天災は自助があり余裕があったら共助で、情報の把握と適切な対処であり、常々の準備と心がけだと思う。


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