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2013
11/10

戸倉剣道の教え子の成長


今日の夕方に父の友人が東京から来る。
國誠流詩吟会での出会いは、40年前にもさかのぼる。前教育委員会教育長の田生さんが国学院大学での詩吟との出会いが、先代荒國誠先生との繋がりを生み、志津川地区に「宮城吟詠会志津川」を発足させた。ここから全国の詩吟会の会員との出会いが生まれ、ホテル観洋での「宮城大会」の開催は、田生さんと父親などの会員が総出で会を盛り上げ、その中に今回の父の友人の「土屋さん」がおり、40年来の友人となった。90歳と父と同じ年齢で、震災後も早く亡くなられた旦那さんの、まだ腕を通してない衣類を沢山支援してくれた。
「今回は多分最後の旅行です」「千葉さんと会えるのが楽しみです」と言う。震災後は私との電話での会話が多く、「お父様を大切に」と最後にいつも話す。柔い食べ物少し送りましたと連絡を受け、お土産に何かという事で名産の「海苔」を準備した。昨夕知人が来て「あわび開口」になったのでと、あわびを持って来てくれた。大きめの物を2個お土産にプラスした。きっと喜んでくれるだろう。
父の社交吟友の仲間も高齢となったり、病気や震災死により信頼できる人が減った。90歳を迎え、吟友との最後となる再開の締めくくりが、今日実現する。
昨日の荒町海円寺墓地での恩人の葬儀は、野外での開催ながら雲一つない青空の、温かい陽気の元で行われた。弔辞に立ったのは私の剣道の教え子で、恩人の甥にあたる。2年ぐらいの在籍ながら、機敏性と力強さと適応力を持つ子で5年生だった。自衛隊に入隊し20歳ぐらいだろうか。優しい伯父さんとの多くの思い出に、送る言葉は涙で言葉にならなかった。感受性の強い優しい自分が求めた大人になっていた。こうした親戚家族が生まれ育った地域を担っていく。
一つの仕事を終え、毎日時間をもてあましている。さっき以前の同僚が心配して電話をくれた。「なんて電話してよいか、4年間長いようで短い」と、私の支援者の「声」の代弁をお願いした。
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