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2013
06/22

この国に生まれて


今日は歌津地区の「ウニ開口」となった。昨日は戸倉地区の開口ながら、漁民が被災し「ムニ剥き」の自宅施設が流失し、衛生的な面で外への持ち出しは「ダメ」と言っていた。ウニを剥き加工できる衛生管理が行き届いている所では良いらしく、南三陸町の「うに丼」は町内の一部飲食店で販売され、来町の観光客に好評である。ゴールデンウィークの仙台・宮城DCでの町への来町者を「2万人」と、行政は報告していた。
辛坊治郎氏の盲目のヨットマンとの、「太平洋のヨット横断」は浸水によく失敗した。救助された辛坊さんは「多くの方に迷惑をかけた」「この国の国民で良かった」と言っていた。海底からの突き上げるような「ドン・ドン・ドン」との3回の衝撃で浸水し、ヨットは沈没した。ここは「くじらの通り道」でもあり豊潤な漁場でもある。浸水から5分10分・・・との時間の中で、排水から避難ボートへの乗り込みと、自分達での命を繋ぐ行動をとった。ボート内での自己の「低体温症」の危機感は、体験したものでしか判らなく自然の海の驚異がここにもある。10時間の漂流中で助かって良かった。
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昨日は歌津「平成の森」へ出かけた。父から聞いたのだが、平成の森の坂の文字は、歌津の2代前の佐藤栄太郎町長の書だと言う。先人の軌跡として残されている事に感激する。栄太郎町長は歌津地区の剣道の基礎を造った方で、勿論、剣道・居合の有段者でその教え子の方々が、歌津地区の今も剣道の伝統を引き継いて、今年も地区の中学校剣道大会で、男女の連続優勝を続けている。
写真は歌津町の小中学校に向かう登り坂で、またその上にと民家の建設が進んでいた。津波で自宅を失った住民は「高く、高く」と、住家を内陸部へと移していた。年を重ねた津波防災の今後の姿がここにある。歌津地区の目玉としての構造物だった「歌津大橋」、旧歌津町を象徴する橋だったが、津波の脅威を伝える「遺構」としての今後の役割として、一部は残した方が良いと思う。長崎の半分となった鳥居を思い出す。長崎原爆の遺構として、今も町中にひっそりと残っていた。
橋下と言い、辛坊と言い、私の中では政治の考えで斬新な構想を持つ、政治改革者して捉えていた。二人の最近の発言と行動は、今までの二人の生きざまで大きな挫折体験で、世間を騒がせたものの、二人の行動・発言が今までと変わる事のないよう、私としては願いたい。二人の事だから決してこのままでは終わらなく、この経験で又大きくなるだろうと思し願いたい。
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