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2013
05/14

銀色の鱗がセメンの上で踊っている


私が小6の時に父にアドバイスを受け、作った「詩」です。大半は父親の詩でもあり、若かりし頃の反省と学習がここにもある。そんな穏やかな光景が本浜の旧市場にはあった。今朝のその場所に行き現在を撮影した、少し様変わりした漁村の風景があったが、昔と被災地の現状もこここには強く横たわっていた。
昨日、この場所でメカブの芯抜きが、大手企業の新入社員のボランティア活動により、行われている姿がテレビ報道されていた。ボランティアも23年の6万人から次年度は4.5万人に減少していた。「風化」では決してなく、少しずつながら自律の方向にある現状への、多くの支援の効果の現れと思える。
昨日は「ひころの里」で植樹祭があったと言う、その前は昨年の戸中への「さくらの植樹」があった気がする。こうした行事は私の立場ですらとも知らなく、もっと多くの町民に告知し、支援の活動の元気を関係者ならず町民にも与えてほしいと思った。
昨日、1か月近い入院から、母が退院し3人の生活が又始まった。入院時の病人の顔から、また年老いた母の普通の顔に戻った気がする。やはり一人は寂しく少しの不自由でもいいから、家族と一緒がいいのだろう。夜中母の寝顔に自分も安心を感じる、色々あるが不思議である。
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先ごろ仮設に行った折にこの「張り紙」を見つけた。地元の新聞に「気仙沼市7年ぶりに人口増」があり、復興工事と支援職員の転入が要因と言う。南三陸町はと言うと、先月より「62名減少」したと言う。工事関係者も支援職員の増加もあるのに、町民の人口流出が止まらない。現在「1万5006人」であり、その中には町外で住む「みなし仮設」「南方仮設」の住民票を地元に置いている方の数がある。それでこの人数での厳しい現実がある。広報では1万5000人余りと掲載し、あたかも人口減少はないかのような記載をしている。現状を示さないのは現町の体制は、復興政策が順調に行っているかのように見せる為のように感じる。もっと今の厳しい現状を町民に伝えるべきと思う。「共に一体となり町の再生に立ち向かおう! この素晴らしい南三陸町のために」と声を大にして言いたい。
来週の和歌山県の串本に調査視察に出かける。「南海トラフ」の津波発生の対策を講じている町を勉強する。地震発生して4分で10mの津波が、一番最初に到達すると予想されている所である。この状況に南三陸町の被災地としての体験の情報は、串本町には必要な話となるだろう。支援への恩返しとしての活動でもある。
今日も私は病院であり、我が家は病院に近い世帯と言える。昨日は公立志津川病院に「9万8千円」支払した。「痛い!」。
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