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2013
03/18

南三陸町の記録

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また多くの南三陸町の風景と出会い、今後出会えない・無くなる町の記録として、被災から復興への町の写真データを残している。USBメモーリーが70個ぐらいたまり、1個には1000枚以上も写真が入っている。データはそれだけではなく、パソコンやホームページ、何個かのブログにも被災前の町の姿があり、何とかそれを残し見る事ができる。
今日も町内の小学校の卒業式が開催される。戸倉の小中が被災し登米市の善王寺小の廃校となった学校に移転された、戸小の入学式も喜べる印象として思い出し、志津川中での併設となった戸中の志中多目的ホールでの、あの子供たちの顔を忘れる事は無いだろう。
多くの被災の中でも子供たちの成長の記念日の写真、大きくなった時にみんなに、頑張っている事を生き抜いた当時の記録として、いつかこの写真を思い出し見れる時がくる事を願いたい。
現在の戸倉荒町に仮事務所がある事で、地域の人や通勤時の日々の光景に出合う。一年後には倉庫のある商工団地に会社が再開する事を予定する。今後の生活を考えると、残された現在の生活が終わると、町の移り変わりを見る事は少なくなりそうだ。
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志津川からの戸倉荒町の入り口に、石巻からの国道45号の車が見えるように、「ここから、過去の津波浸水区間」との掲示板ができた。過去と言うが「ついこのあいだなのに」と、風化的は表現がされていた。志津川地区に入る道路の、小森・天王山の3カ所と聞くが、戸倉・田尻畑などまだまだ志津川市街地に入る道路はある。今後は国道沿いから町道などの基幹道路には、津波被災の町として、浸水掲示板を町内各地に設置となると思う。1000年に一回の地震津波の発生ながら、100年に一度の津波とて、また何時来るかもしれず、観光客や水産業・商工事業所が4m嵩上げした市街地で、今後「生業」が始まる。避難道を含めた津波対策は「待ったなし」です。
車の中でラジオから、県の25年度の職員の補充が放送となった。防波堤などの整備に40名、土地の確保に60名が職員補充となり、他に大阪より100名の自治体派遣員などがあった。その他に県の被災地を含めた医師・医療の対策室設置があった。数字は確実ではないが、県の今後のマンパワ不足と現実の問題解決に、緊急な人員補充に対策を講じていた。
夕方に戸倉荒町に帰る時の山陰に沈む「真ん丸い太陽」、綺麗だった。
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