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2013
03/14

何も無くなった南三陸町本浜


何も無くなる寂しさは形が亡くなり実感として伝わる。私の家族は誰も亡くなる事は無かったが、生まれ育った「凛」と残った建物があり、土地の基礎解体までのプロセスを、毎日の通勤で見ていたが遂に何もなくなった。「千葉家の本浜の歴史は滅亡」した。朝五時半に「我が家」の場所へまだ薄暗い時間廻ってみた。倉庫は残骸となっていた。町の地区の移り変わりの毎日を、変化がある度に写真に収め過去の記憶を忘れないようにしてきた。これからは生まれ変わる町を撮り続ける事になる。
25年度の復興の町づくり予算は、723億9673万5千円となり、昨年比で73%の増加となった。被災前は80億だったものが、その十倍となり、多くの恩恵を受ける者と、その裏での闇の資金の流れをしる術がない。「乱世」と我が町の今と見る。
私が考える問題点は、「人口流失対策」「教育環境整備」「被災者弱者救済」の三点を挙げた。住む場所を住民が確保するまでには、「職住分離」の町の政策があり、土地の造成完了にまだ2年以上を要し、その後の建設と「住宅再建元年」とは言うものの、まだほど遠い現実に住民の流失が続いている。
CIMG1674.jpg
この写真を使う事ももうない。
子供たちの教育環境は被災地の中にあり、校庭の仮設では被災者が一日も早い住宅移転を考え、この大変さに子供達とて「のびのび」と言うわけにはいかない。戸倉地区は26年度には地区にあった中学校が志津川中に統合され、新たなスタートとはなるものの、その地区民の寂しさは計り知れない。小学校の高台移転の設計は始まると言うが、その先の姿も見えてこない。「未来の南三陸町を担う子供達の為に」と行政・教育のトップは言う、その再建対策は一歩ずつとしかいかない。
仮設生活弱者への救済は支援物資ではなく金銭の支援が必要と私は思う。しかし、町はこの現実に「資金の支援の制度はない」と、現実的に無理と言う。自治体トップの決定とリーダーとしての決断で可能と思う。独自の生活再建資金の補助が個人の住宅建設にある女川町がある。弱者支援補助は今まで町を造ってきた「先人」達への感謝の形でもある。弱者は高齢者であり子供達である。
町の存続の為なのに他人ごとのような対策と対応と私は思う。「郷に入って・・」立場となれば、その現実にぶち当たるのか。
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