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2012
11/01

一つ一つ


南三陸町の黒崎パーキングから見える、国道45号の風景に驚かされた。曇りのち雨の天気予報ながら、海は荒れ気味の天候で、写真の海からの波が国道を走る車を飲み込んだ。少しオーバーながら軽のワゴンに、上から波しぶきが覆った。地盤沈下があり護岸の形状から、こんな状況が起こり冬に向けて心配と、地域の通過する住民は言う。今日は国道管理の仙台河川土木事務所に電話しようと思う。
アメリカを襲った日本の国土より大きいハリケーンは、普段のコースならニューヨークには上陸はない。偏西風の今までにないコースで、海抜1mのマンハッタン島は、4mの高波に都市が沈没状態となり、地下鉄などの交通網の寸断で通勤は徒歩となった。
「我が町」にも言える。地盤沈下した市街地、地球の異常は天候の今の姿でも、今後に大きな心配となっている。先人たちは「う回路」「国道ルート変更」など、将来を危惧する提案をするが、行政は復旧が先と手が回らないと話す。新しく造る町そこまで踏み込んだ、「町づくり」に取り組むべきと思う。
昨夜の「町づくり協議会」は40代50代にその上下が混じる体制と映る。東松島市の提言を行政に渡した方は70歳ぐらいの高齢者だった。子供たちが暮らす将来の町づくりを、今の世代の枠を超え、素晴らしいものとしたいが、描く姿の理想に高さを感じた。土地もない・資金もない・人も減少する南三陸町では、私は夢より現実を思う。「光輝く街」は未来の子供たち託すしかない。30年50年後を。
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昨日は戸倉小と戸倉中に出かけた。写真は戸倉在郷の瓦礫焼却場の煙で、ここに「慈眼寺」さんがある。副住職の学友が神奈川県の「少林寺」の住職さん、当地を訪れ学校の流失や浸水での子供達の苦悩を心配していた。お寺の法要の時に「募金箱」を設置し、少ないですが戸倉の子供たちにお使い下さいと言い、義援金を戸倉小の教頭先生に渡してきた。
また、戸倉荒町出身の佐々木さんと「常陸太田市瑞竜中学校」の生徒会の顧問の先生との交流があり、佐々木さんの母校の小中学校と生徒会・学校が交流したいと、この旨を伝え交流方法を相談に行った。やはり多くの学校から同等の話があり対応は無理と言う。「手紙での文通」でしたらと、その綱渡しが出来た。戸倉中は50名程度の生徒数、確かに多くの要望には応えがたい。そんな中でも何校かとは交流していた。
学校では「ホームページ」「メール」などのITシステムが設備されていると思っていた。現在は持っていてもPTAや教育関係との連絡網で活用しているのみと言う。志津川中のように300人前後の学校にはあり、たしか入谷小でもインターネット活動があった気がする。
今日は昨日の月末と各種用事から少しは解放される。
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