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2012
10/04

癒やされ


今日朝6時15分に戸倉セブンに寄った。この時間BRTのセブン停留所には、多くの学生が電車ではなくバスを待つ、1時間10分は気仙沼までかかるだろうか? 毎日のように停留所に立つ、今日は10名ぐらいがまだ寒くないが、家族の車で送られ気仙沼の高校まで通う、この生徒たちの耐える気力と頑張りは、強い南三陸町の担い手として育ってほしいと私は願うばかりです。
写真は歌津の升沢住宅団地下の国道45号線沿いの、新設整地された商店です。この場所は「田の浦」からの津波が通過した所で、管の浜からの津波がファミマでぶつかった。写真の手前から病院・薬局・お店・車屋・建設会社の宿舎になっている。津波到達地点で「危険地域指定」とはならなかったのだろうか? しかし、町・住民の再生には当事者の納得しての建設なら「あり」と思う。志津川にても廻舘・御前下には危険区域で津波到達地点ながら、10月1日前の建設には規制が無く、現在家が建てられている。しかし、大工さくの確保にならず建設工事が遅れている。
毎日のように目の見え方が違う気がする。「白内障」「眼底出血」が進んでいるのだろうか。私の保育所の頃、父の妹にあたる叔母がいた。私が生まれた時は目の視力が弱視以下で中学に入る頃には失明した。決して美人でもなくスマートでもない叔母ながら、大きな優しさに私は包まれていた。母親と眠るよりも叔母の布団に潜り込み、眠る事が多かった事を思い出す。最後まで独身で共に暮らしたが、その優しさへの恩返しは出来ないままで亡くなった。最後は「マーサ」黄色ブドウ球菌の体内の増加により、私を含めた兄弟の看護、気仙沼のシルバー人材の佐藤さんが、優しく介護し皆に優しく看取られ逝去した。叔母は新聞配達を目が見えなくなる直前までし、何年か・何か月か配達を私は手伝った。「親の因果が子に報い」、良い意味で私はこの言葉が今日頭を過った。一生懸命に自分の置かれた環境で生き抜いた叔母、私もこんな人生になるのだろうか? と、こんな人生でも良いかと思えた。親の背中を見て子が育ち、親の生き方に子が似るように、私も周囲の人間に感化され今を生きている気がする。
こないだある社長に、私の弟は糖尿病で「白内障」の手術を受けて失明した。気を付けなさいと言う。多くのリスクを現在の私の体は持っている。こうした事からも忘れていた叔母を思い出した。
今日の皆三陸町の海は台風の影響か、大荒れの海であり漁民の皆さんには仕事に、水揚げに多くの配慮をお願いしたい。養殖カキの出荷の「牡蠣剥き」が四日? と聞いたがどうなのだろう。
山や海などの自然の変化に注意してほしい。私は自然を「侮っていた一人」だったが、多くの自然の急変の体験に寄り、死への直面に近い事を経験し、その怖さを知っている。すべては「自己責任」です。
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