2012
09/25

どうすれば


町民の皆さんを守るために対策本部で、町長の指示を待ち津波襲来を受け、屋上に避難した町民と町職員の写真が、3.11の直後にスポーツ新聞に掲載された。
初めに、屋上から海・川の状況を見る姿、屋上避難・津波が屋上に達する、電波塔には二人の姿、何派も続く津波に耐え、悲惨な光景が二枚、引き波・瓦礫と果てた防災庁舎が最後の写真で、津波の襲来時系列で今も会社にある。職員の最後まで頑張った姿は、いつも会社の掲示のこの新聞で見る、町の早期再建の意識を欠かすことなのは、毎日見ているからでもある。

「どうすれはいいんだろう」と今日、投げかけた。

「残す」「残さない」「検討する」が、今、議会で陳情が毎日のように議論されている。
昨日のニュースで大学の有識者と言う人たちが大震災の遺構として、「石巻大川小」「気仙沼の打ちあがった大型船」、そして「南三陸町の防災センター」を上げた。この方はここであった多くの悲劇などどうでもよい事で、津波の脅威を後世に残す場所としい、言っているだけの事でしかない。なんの意味も「住む人々」にはなく、物より生き続ける事に、この町で今後も暮らし続ける事にあると思う。
決定の最終権者は、職員を踏みつけて生かされ、今度は家族の願いを踏みつけて生きようとしている。今日議会の議員採決で「防災センター」をどうするかが決まる。賛成・反対の姿は、ネット配信・議会広報で町民に示される。

「町民はこの議論への思い・関心」はどうなのだろう。

多くの町民は、今生きることで精一杯で、あまり関心はないのが現実です。早期の生活の場の確保でしかなく、こんなことに行政・議会の多くのエネルギーと時間を、費やす余裕など、いま南三陸町にはない。
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COMMENT

2012
09/25

防災対策庁舎について

震災で母が行方不明の私は、一年半1日も涙を流さない日はなかった。後世に津波の恐ろしさを伝える為に、防災対策庁舎は、無くてはならない。十分の一のサイズでは駄目なのです。実物でないと、忘れます。解体して、何も無くなった時、町民は後悔するでしょう。どこで泣いたら良いのですか?来年の町長選挙、町議会議員選挙に、残すか否かの意思を、示して選挙したらどうですか? このような苦しみ、悲しみは我々だけで、たくさんです。二度と、このような事が無いように、教えてくれるのが防災対策庁舎なのです。皆、遺族の方に遠慮しているのが、理解出来ませんか?

【 南三陸町大好き人間 |  編集 】

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