FC2ブログ

2012
09/06

海再生は


水産業・漁民の再生は間違いなく進んでいる。しかし、その他各事業所の再建への現実は厳しい事を、昨日は聞いた。
街の三分の一が被災し消滅した気仙沼市、被災した会社を見て「廃業」を決めた社長さん、多くの関係組合からの義援金に大きな力を貰ったと言う。また、後継者の「私が継ぎます」との言葉に家族で再建を誓いあった。
私と同じ事業所は大半が全てが塩水をかぶり、機械は全て使いものにはならなく、一つの例で最低の再建事業費は4000万円はかかるだろう。県助成金を多くの書類提出で設備資金の四分の一位を得る事が出来たと思う。各種の機械はメイカーからの支援もあったと話す。「マイヒストリー」の自費出版物の主体としての再生をしている会社で、被災後の仕事は皆無で、最近になり注文が入るようになったという。ある女性が震災の現状を書き記しておきたいとの受注をもらった。注文時の暗い顔が出来上がりの本をもらったときの顔は明るい笑顔に変わっていた。会社の仕事が被災者に「希望の光」を与え、自分がこの一役を担えた事と、自分の仕事が被災者の心の支援となる事が、一冊の本の作成でわかったと話す。「マイヒストリー」の作成をしたいという方は私に連絡してほしい。
また、こんな現実に涙する事となった。気仙沼で震災後「復興マガジン」を制作し、無料で市民に配り全国にも発信した。会社は三階建てながら一階は浸水し、居住を二階以上とし、一階は仕事場だった。すべての機械が使用不能となり、設備の支払部分が負債となり今の経営に大きく圧し掛かっていた。被災後は気仙沼市の事業所の復活の情報を無料で流し、ボランティア支援への恩返しの活動をしたり、仕事の利益ど返しでここまで突っ走ってきた。そして現在今後の経営がままならない事に直面し、事業の再建・自己の今後に厳しい現実が迫っている。しかし、今後も被災地「気仙沼市の復興」に尽力していきたいと言う。
被災地において今「復興特需」があるが、私たちの業界の厳しさがある。家庭が印刷会社化し仕事が減り「ダンピング」の嵐の中で淘汰が進み、20年間で宮城の印刷会社は、158社から97社へと減少しているデータが示された。宮城の印刷レベルは全国でもトップクラスながら、印刷会社減少の歯止めとはなっていない。
こうした気仙沼の現状から、厳しいながらも南三陸町の二社の経営はまだましと思う、「我が社」も二名の従業員ながら、経営は何とかなり借金にも追われていない。農協の共済があり今の役職により、今を維持している。
昨日は登米市での病院ふたつの駆け持ちは疲れました。その後の剣道も副代表がいたから、子供たちの指導は出来ました。駆けつけ9時近くに帰り、爆睡朝七時までとなりました。
写真は昨日の会議の場所「大谷海岸」です。広大な海水浴場の再生の目途は立たず、9mの防波堤には地域民は反対で、今後は「堤防設置反対」の要望書も提出を考えていると、ホテルの方は話している。被災地の多くの地域民は「自然の共同し地域民は生きたい」と、それがここで「生きて行く道」と考える。行政が国から示される事の「鵜呑み」と、住民が望む生活環境には大きなひらきを感じる。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:20 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP