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2012
08/06

南方


こないだ神奈川の方にショッキングな情報を聞いた。「被災地である娘さんが自殺しました」と言う話に、私の知らないところで、ひっそりと「若いこれからの命」が閉じられていっていた。合掌。
昨日も知人のお母さまが逝去され、追われる生活の中、次々に起こる事に追われ、葬儀の参列は叶わなかった。高齢者ながらこの大震災を乗り越えてきた。過去の多くの災害からの復活を見てきたに違いなく、こうした過去の逆境を乗り越えた皆さんに学ぶ事があり、現在は過去へ復興の新たな再建の形を示す町の指名がある。
昨日の行動で皆さんから感じる事は、これから生きている人の生活場所を早く作る事と、これから南三陸町で生きて行く、若い人たちの思いを意をくむ事で、皆が次のステップに進む事ができると痛感した。
昨日もまた新たな町の動きが生まれそうだ、自分一人でもこんなにも多くの事が起こっている。残された町民の身の上にも多くの事が起こっているに違いなく。これまで数々の障害を乗り越えここまできた。まだまだ越えないといけない階段が目の前には広がる。
昨日の南方から佐沼の帰り道には、登米市の多くの造成の土地と、農地が住宅地の敷地へと変化し、住宅の建築の様相が見えた。登米市は南三陸町の町民の受け皿として、行政は動いていた。しかし、我が町は人口流失の目に見える対策は取っていない。取れないのが南三陸町の現状で、これが住宅の建設まで2年とかかると、登米への人の吸収は今後加速する。
町内にまた変化があった。城場の「保険センター」もついに解体への動きがあり、民間の汐見の元「阿部小児科」も解体が始まった。公共の被災建物の解体はあと「防災センター」だけと志津川市街地はなった。
写真は東京での「広報研修」で、全国から担当の委員が集まった。
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