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2012
06/29

保険センター歌津


歌津の市街地にあった「保険センター」。今は二階建ての施設は更地となっている。私も何回か入った事はあるが、合併後は志津川地区のセンターが南三陸町民の保険施設の中心なった。
歌津の保険センターには「風の里」が入り、入所性が作業に精をだしていた。わが社も仕事を発注していたが、現在のこの状況では、一般の仕事は皆無に近い。行政の仕事が中心となっている。
この場所は「歌津総合支所」の表がわにあったが、歌津大橋を超える高さの津波で、コンクリート二階建ての建物も側だけを残し、内部は総て津波の力でぶち抜かれていた。この前には仙台銀行の建物があった、警察駐在所があり、商店街の中心がここにあった。
「激甚災害法」により公的施設の再建に補助金が助成となるが、施設の解体しないといけない。このまま使える物があるのではと思うが、浸水域にあるため、総てが解体の方向に現在進んでいる。
こないだNHKの放送を聞いていたら、聞いた事のあるナレーターが聞こえてきた。最後のテロップのは「山田・・」の名前があった。「NHK放送局」での取材放送で、川崎町の不法投棄の問題を伝えていた。
彼女は被災後取材で二回わが社をタクシーで訪れ、行政の活動と津波と避難所の状況を取材に来た。色々な問題が浮き彫りとなり、彼女の取材は以後断った。中瀬町に密着し鱒淵そして仮設建設となり、地域に根付き南三陸町の「復旧への歩み」を伝えた。そして3・11から一年が経つ前日、「町長追跡ドキュメント」が放映された。現在は配られた名刺の電話にはつながらないと、同僚は話していた。彼女に話した「悲劇の町が・・・の町に」を覚えているだろうか。
先頃に台風が直撃し気仙沼地区に「避難勧告」が地区にだされた。5258人への勧告で避難所も指定したが、36名の避難となった。避難者率は「0.6%」で、避難しなかった住民は「危なくなったら逃げようと思っていた」と話す。自己責任がここにあり「自主防災」の考えは、1年3か月しかたっていないのに、自然の驚異を人間はまた忘れかけてている気がしてならない。
九州の宮崎・鹿児島そして長崎県には、現在も大雨が続いている。長崎では6月の降雨量が一日で降ったと言う。地球の異常気象はまだまだ続く気がする。オゾン層の破壊による、「ラニーニャ」「エルニーニョ」など、低気圧高気圧の異常な動きと発達に起因する。普段の状況把握と備えの気持ちは大きな「偶然を生む」、決して「運」ではないと今わたしは思う。
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