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2012
04/17

高齢化と被災地

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南三陸町はどうなるのだろう。身近な「高齢化の実態」を伝えたい。我が家がその典型の中にある。55歳と89歳の両親で暮らし、世に言う「老々介護」となるが、ちょっと違うのは、89歳の父が89歳の認知度3の母を見る。昨夜はその現実の中にあった。
夜7時に帰りコンビニの惣菜でビール、9時前には就寝、何か騒がしいので目が覚めた。時計を見るとまだ10前で、少しも眠れてなく、トイレ介護で父が心臓がおかしいという。母はトイレに立てないでいた、父は「大人用おむつだからそのまましなさい」と言う。うとうとと眠る、夜中また騒がしく目が覚めた。「トイレに立つ」「そのまま寝ろ」と両親のやりとり、まだやっていると無視して、眠るが眠れない。時計に目をやると、夜中の3時だった。
自分は昨日も朝3時4時出社で、その疲れは体はウソはつけなかった。父も毎日毎夜の介護、疲れがピークなのだろう。「勝手にしろ」「トイレしたい」「何回言わせんのや」「しょんべつまって眠れね」と、言葉のやりとりが強く激しくなって、私もさすがに起きて布団を移し、ポータブルトイレをベットの脇に、母を起しトイレに座らせ、二人はやっと静かに就寝した。父は腰が痛いと言い、心臓がと言う。これが「我が家」の生活、震災から1年が過ぎ、自立を模索してのこの生活も、長くは続かない気がする。
近隣の家庭でも知らないうちに事件が起こっていた。父親が救急車で、祖母が脳梗塞で半身が、認知で2Kも歩き転んで怪我した、子供が病気、大腿骨を骨折、同級生男性が仕事あとコンビニで、互いの現状を話した。仕事がない、町の今後が見えない、また前の国道を救急車が走る。ある仮設100世帯で、3人が病気などで亡くなった。高齢者ばかりで、商店主も被災直後の開店の意気込みも無くし、知人の母は手を骨折していた。南三陸町内の老人福祉施設は満員と言う。被災地の高齢者は激増し、若者はこの町から脱出を計画する。何処にこの町の未来があるのだろうか。我が家の今後はちょっと先を見ると「空前のともしび」である。
南三陸町は「東日本大震災」でどん底まで落ち込み、今の状況は復興復旧と大いに町の復活を言うが、町民の気持ちは多くが、前途に悲観ばかりの気持ちを持つ。町長さん・町会議員さん「町民の声を聴いて」と、議会への町民の意見が寄せられた。
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