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2012
03/17

卒業


今日は一年前と同じ時間4時に起き活動した。電気もない・水・電話など生活の元となる、当たり前に使っていたライフラインの総てがない生活だった。
水は新井田川の上流から、バケツとペットボトルを5本ナップザックに詰め、2・3日に一回は水汲みに川に行った事を思い出す。放射能は、そんな事を考える余裕もない、というか「今日起こっている事」が判らない頃だった。
昨日は志津川小学校の卒業があり、58名の子供たちが中学生の階段に立った。高校・中学校の卒業も終わり、最後志小の節目の日となった。
後で志小の風景写真は紹介したいが、写真は見てのとおり志中である。、この震災で多くの「心の傷」を負った子供たち、家族と共ながら誰かが居ない現実の中で頑張っていた。私の少年団の子供たちも5名が、学校は違うが家を失くし、家族の死亡など、子供にとってはどうして受け止めて良いか判らない現実にある。その状況の中で「卒業」の主役として、立派に「凛」とした姿に涙した。気丈に式に臨む姿、3・11から被災に耐え生活していた子供たちの顔を思いだす。
避難所では仲間と生活する事に笑顔さえ見れた。しかし、その裏には多くの不安があった。この心情や「これからどうなるだろう」の不安は小学校高学年とて、無いという事はない。家族に心配かけまいと思っていただろう。そして、昨日卒業を迎えた。激動の一年、きっと強い大人となるだろう。
志津川小学校の卒業生は2クラス58人、在校生は250人くらだろうか。被災前は「400名」を超える児童がいた。私たち31年生まれは5クラス「250名」を数えた。子供たちの減少は被災地での生活環境があり、家族が生活する為に止む無く近隣への転出を考えたためだろう。
戸倉地区においては、子供ちたにこの被災状況を見せたくない、子供の心情を察して、この地の生活をあきらめた家族の声を聴いた。また、南三陸町戸倉地区に戻りたいと、志津川小での校舎を利用しての、戸倉小学校の来年度の生活に、家族が登米市から南三陸町の仮設に入居し、戸倉の学校の再建を願っていた。
「町の宝」である子供達の維持は、町の存続に大きな影響となる。一日も早く町の復旧しかなく、荒削りの「町づくり」でもいいから、南三陸町の「町民帰還」が私は必要と思う。新しく「防災に強い町」の構築もあるが、誰もいない町にいくら「素晴らしい町」を造っても、何の価値もなく、人が元のように住んで初めて「復興」となる。
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