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2012
03/11

未希


一昨日・昨夜と言い、衝撃的な南三陸町の映像が、NHKの23年3月11日、大津波が防災センターを襲った時の真実が、映像で職員の声で語られる事となった。今日の「追悼式」に合わせたかのように、職員遺族の姿に、防災センターで多くの同僚を失くした事に、「もういい」とこれ以上の悲劇に対し言っていた。
全国・世界の皆さんが職員「遠藤未希」さんの存在を知った。防災センターでの「大津波が来ます逃げてください」の呼びかけを、職員としての責任を最後まで全うした。防災センターでの真実では、見希さくの放送中に、「もういいよ」「屋上へ」的な行動が、残され紹介された記憶データの「30分のドラマ」として、録音データに保存されていた。
未希との出会いは「志津川剣道スポーツ少年団」だった。指導者である父親について来ての小学生だった。当時は30名近い大所帯で、あまり目立たなく気づかなかった。そして志津川中学校剣道部に入部、そこでコーチとして私は彼女の「一生懸命」な、何事にも取り組む姿を見る事となった。3年生の時には部長として先頭で、女子部をまとめ上げていた。華奢で長身の彼女、その分を努力と頑張りで克服していた。
卒業後の未希を見たのが「役場事務職員」だった。新任女性職員は「役場窓口」として町民の接受付が多く、彼女も「こんにちわ」と笑顔で対応をしていた。「未希」?「はい、よろしくお願いします」、だった。4年前だったろうか、三年をへて「危機管理課」への移動でも、「変わりました、また宜しくお願いします」と、さすが剣道の礼儀教育は父親直伝だった。
被災後、両親はセンターから内陸を娘を探し歩いていた。そして、5月4日の新聞で志津川湾で見つかり、7月に結婚予定の彼が、左足首の「ミサンガ」で、未希さんを確認した。
「娘の声が聴きたい」が母の願いだった。一昨日の「30分のデータ」には、その避難呼び掛けの地震直後からの彼女の声の記録が残っていた。初めは「津波が来ます避難してください」だったが、刻々と状況は変わる「6m」の津波が、「10m」の津波となり、母親は娘の声の変化を聞き取っていた。「「最後の10mの放送の時、ちょっと怖かったんだなー」と、「本当によく頑張った」と、娘の行動を誇っていた。しかし、生きていてほしかったが真実の思いだろう。44回の放送の声があり、27分後の「10mの津波襲来」を3回繰り返し、対策本部の誰かが「未希ちゃんあがっぺ!」と、データのかすかに聞き取れる声が残っていた。ここで録音は終わった。
24才これから結婚して、楽し事・嬉しい事・苦しい事・悲しい事なと、多くの事を経験し家庭を築き、母となり両親のような家庭を築きたいと思っていただろう、明るい「未来」への「希望」へ向かい進むはずだった。これからの親孝行「恩返し」が始まるはずだった。今日は町の「追悼式」が開催されるが、会っても家族にかける言葉が見当たらない。
昨夜は一時間15分、防災センターでの職員・住民の津波との戦いの光景が、NHKで初めて町民に知らされる事となった。屋上の鉄塔電波線に、騎馬戦のように皆が固まり、屋上への津波の襲来に備える姿があった。40名余りの屋上にとどまった職員、結果10名が残った。その塊の中に外側には同級生の危機管理課長の「阿部慶一」くんの姿もあった、こうして大津波の中にいたんだなー!と、高橋君もいた。一つになり互いの手でみんなを包むこの写真は、南三陸町の「絆」そのものである。未希は何処にいたかは、これからは把握できなかった。
この音声記録・昨夜の屋上の光景写真は、家族にどんな新たな「岐路」となるのだろう。生き残り「今」生かされている自分には、はかり知る事は無理である。南三陸町の再建に努力するしかない。
未希は、町長は、何処にいたのだろう。「亜里沙」さんは? と他の職員は何処にと、多くの家族の思いと悩みを町民皆で分け合いたい。
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