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2012
03/07

告訴


昨日、写真の「サンポート」には多くのボランティアが片付けに入っていた。とっくに漁具は撤去されてはいるがスーパーの中は何の手も入っていなかった。記録には18日となっている。12日から17日までの写真が無いのは、携帯で撮影してたものが携帯ショップのミスから、写真情報の保存ができなかった事を今でも悔む。この間も志津川町内や歌津地区も毎日のように歩き、撮影を続け限られたデータ容量もあり、必要分を残しデータ記録保存とするはずだったのだが。3・11当日は携帯のデータがいっぱいで、大津波を見てはいたものの、その悪夢の光景は撮影できなかった。しかし、今でも「あの光景」を忘れる事はない。
自転車での町内は小森・清水・新井田・大久保・田尻畑などの津波最終到達点をカメラに収めたのだが、写真は数枚しかない。写真の場所は志津川病院・高野会館・郵便局・笹原診療科など、多くの商店が密集していた地区でもある。被災直後は高野会館からの400名近い人の救出や、病院屋上の患者・医師・看護師など、津波でぬかるんだ市街地から、自衛隊とともに脱出する姿が、被災後の新聞で知った。市街地への立ち入りには多くの勇気が必要だった。道路の復旧を急ぐ事もあり、新井田「マツダオートプラザ」前から、建設会社の重機が、塘路の瓦礫撤去による道路確保が、被災後4日目ごろから始まった気がする。津波の破壊力は半端なく、瓦礫は残った大きな鉄筋コンクリートの建物に引っかかったり、建物の中に入り止まる以外は、綺麗に街中から山間や海底へと運ばれ、志津川市街地の国道には、意外と障害物はなかった気がする。
サンポートの内部も重機での大きな建物の中の瓦礫撤去はできなく、人皆戦術での方法しかない状況で、一年となる今ボランティアさん達の手作業で当たっていた。建物の中は危険がいっぱいであり、多くの何があるか判らない瓦礫での、怪我や事故の無い事を願いたい。
昨日衝撃の報道・情報を聞く。「町長告訴」と大工さん・殉職の家族・高校生等々、多くの人が話す。何の驚く様子も無かったのは何故なのだろう。町民も予感していたのか? 被災しそれどころでないのか? 復興に向かう自治体のトップなのに、なんでこんな問題を発生させるのか。考えられない、危機感の無さが総てを物語る。
また、ひとりの町の歴史を作った事業所社長さんの、訳ありの死去を知った。いったい何をしたら、何をしないといけないのか! 被災地の陰でひっそりと町民の死がある。南三陸町の瓦礫は一向に片付かない。今年の夏から第二瓦礫置き場で、分別焼却が始まるが予定どうりいってほしい。
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