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2012
03/06

風化


23年3月11日から一年を迎えようとしている今週、24年3月11日の「追悼式」にあたり、当時の「南三陸町の悲劇」の現実を風化させないためにも、あの時を振り返りたい。
午後2時46分、南三陸町の議会中突然の地震、近年起こっている地震ぐらいと、そんな危機感は無かった、しかし、大きな3分間、何回かに分かれて起こった。これが三陸・宮城・福島の震源地での初めての「連動」での地震だった。その後あの「東日本大震災大津波」が発生した。
写真は被災翌日の午後、現在の「仮変電所」から、ベイサイドに向かう被災者の列です。新井田にあった「自動車会社」の車が数多く重なり合い、津波後の夜中に火災が起こり大火事となった。右奥にその煙が翌日も燻っていた。当時の夜ラジオは、「避難者のいる避難場所のアリーナに火災が向かっている」と放送があり、何も津波以後の町の状況が見えない南三陸町があった。自衛隊の「ヘリ」が町にきたものの、志津川中に着陸を試みるも、夜間で多くの避難者があり、危険と引き返す「ヘリ」の姿が、真っ暗闇の中で私は見ていた。
直ぐの大地震後の町内は「平穏」の中で割れたガラスの片付けや、車もまだ急ぐ光景はなかった。私は役場庁舎から八幡川側を自転車で、当時の町の様子を見ながら自宅へ帰った事を今でも思い出す。昔ながらの田舎の街並みだった。
今日の南三陸町は、前日朝の大雪が日中の大雨となり、街中は解けた雪と雨が国道を冠水させていた。「大潮」でまだないせいか歩道から雨水があふれるくらいで、通行の禁止まではなっていないものの、地盤沈下の町は今後も大雨と大潮での冠水が懸念される。排水溝も清掃はされたが、地盤沈下で海水の逆流が今後も発生する。
石巻にボランティアで入った30代の男性、被災直後から1年間「600万円」の自費を費やした。将来の自分の仕事のためにと貯蓄していた資金で、まだ居たいが財政的な面で帰るという。被災地とボランティアのこれが現実です。
昨日、石巻の「大街道小学校」に米国の歌手シンディーローパが、さくらの苗木を持って子供たちのプレゼントをした。「トゥルーカラー」「・・・ライク・ハァン」など、80年代聞いた大好きな歌手です。子供たちが話す苗木を貰い「復興のために頑張る」と話す。
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