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2012
03/02

卒業


1980年前後ごろは高校も荒れていた時代だった。90年はピークに達し、当時はやった歌に尾崎豊の「卒業」がある。歌詞には「支配からの卒業」と、最後で高校生のファンと共に合唱する。
しかし、昨日の志津川高校卒業式は、「すべての人たちに感謝」である。震災後学校は「登米」「上沼」の2校に分散し両高の協力により学習を続けられた事に感謝し、2学期からは被災者と共に仮設の建つ、母校に戻り生活をした。全国・世界・町民からの多くの支援に感謝だった。友と共にこの過酷な環境で学習・部活などの生活で助け合った、多くの学友・後輩の志高生との助け合った事に感謝です。3・11から被災し家族の励ましと、多くの悲しみを分け合い、この卒業に立てた事に感謝ですと話した。卒業生と残る在校生、そして、父兄の代表謝辞でも感謝ですと、学校・先生方に感謝を述べた。
私の友達も知らないうたに卒業生の親としてここにいた。友達も会社が被災し失業、3・11から一年を迎え「失業保険」もあと少し、自分も「新たな道」を模索するが、まだ「その進路」は決まっていない。子供の高校からの「卒業」、どんな気持ちで卒業式に出席しただろう。共に頑張ろうぜ! です。
昨日は仙台へ「製本」の外注に、印刷物を持ていった。設備はあるが多くの自分の仕事を抱え、外注する事に決めた。町の復興への調査・学習に時間を費やす。当たり前の事ながら、被災地では今、当たり前の事が普通にできない現実がある。作成中の「南三陸町からの手紙」は、当時の南三陸町の町民の各々の、3・11当時の行動が、手に取るように綴られている。ぜひ読んでもらいたい。昨日は町で「語り部」の勉強会であったが、こうした冊子が資料となる。町民みなが語り部である。しかし、当時に戻れない人も数多い事を考慮したい。
今日は今月末の「田尻剣道大会」の参加申し込と、仙台での現地状況報告での、話が書物になるという事で、その校正がある。復興再建補助制度の「申請書」の製作があり、来月の一般質問の資料の整理もある。今回の議会は「一問一答」の質問に一本化され、10名の議員が壇上に立つ。多くの傍聴者やメディアが議員の質問と、町長の震災復興への加速への答弁があり、その説明・考えを述べないといけない。何故なら町民の不安は、「町復興の姿が見えなく遅い」と言った事にあるからだ。
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