FC2ブログ

2011
12/29

面影


私の携帯にこの写真が残っていた。よく見ても何処かわからなく、「おさかな町商店街」のような気がする。こんな街並みの復活はもうないのだろう。チリ地震津波以後に再建した、志津川地区の市街地も津波により、また跡形もなく消滅した。この当時は「地盤沈下」はなかったのだろうか。前の土地に又の自分の家を建てた。
町による「区画整理」はあっただろうが、35年の津波から仕事ができる場の確保があり、10年で工場の増設や住まいの増設をし、25年目で本宅を建てた。以後28年目に再度の大津波で、再建した千葉印刷・本宅の財産・思い出の、総てを失った事になる。
私が生まれ、再建して63年目で、又、千葉家は全てを無くした。今、住まいは高台へと町民意識は増し、住んでた場所では住みたくないという。当時の復興再建は「防波堤」のみで、津波防衛体制で町を再建した。繰り返される天災は人類への「自然の警鐘」となのだろうが、それはあまりにも非情な警告で、しかし繰り繰り返される現実として、人類は受け止め生かされている。
年末にあたり今年の出来事として、「3・11」は記憶を消さないようにと、被災の当時の出来事が流される。気仙沼の中学生の「答辞」に涙した。自然を受け入れるには余りにも大きな代償と、後から後から流れる涙を拭っての答辞に、見ていて人の目を気にせず、私の目から流れる涙を止められなかった。
「復興計画」の実現の厳しさと、総ての被災者の生活の安定までの、道のりは厳しい遠い事を実感する。遠藤さんの「大津波です早く逃げてください」の放送が繰り返され、家族の思いを考える。お母さんは被災者に何かできる事をと、マッサージリハビリの資格をとり、仮設を回り活動を始めた。「娘さんにお世話になりましたよ」と声に、笑顔で微笑む姿が印象的で、そのには涙は無く、共に頑張って生きましょうと、娘の思いが乗り移ったようだった。
スポンサーサイト



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:15 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP