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2011
12/10

戸倉地区

111209_121619[1]
写真は波伝谷地区を望み、ここが南三陸町の第二仮置き場の予定となるのか、と新たな戸倉地区が震災の焦点の地となりそうだ、左下に水道の通水管が見える、ここには飲料水の水源・取水口があると聞く。ここもまた多くの問題点と今後の不安の元が点在する。
水戸辺・波伝谷・在郷・上沢前は、全ての家が流失したと言っても過言ではなく、写真のようにこの反対側も同じような、被災地の状況が山の麓の平地に続く。処理場としての条件は確保されているが、土地・農地の地権者は家屋の建設もままならない中で、用地使用を町から求められている。
多大の対価を地権者には与えてほしい。宅地は1㎡300円・農地は90円とも聞くし、防波堤の早期の建設や土地の使用後の整備など、被災者でもあり町の瓦礫処理場への転用協力があり、それへの町の恩返しは早期復興でしかない。
気仙沼市の被災後の市の復旧対策、町民の地元への愛着の活動がある。そして今回24年度の南気仙沼小と、気仙沼小の統合が進められている。学区を超えた子供たちの被災地での教育環境の集約がある。間違いなく気仙沼市の被災の土地の考え方や、教育環境の新たな改変取り組みは、早期の市の復活へと向かい、これは人口の流失阻止への気仙沼市・市民の決断でもある。何処を見て復興を進めるかである。南三陸町はと言うと、一番守らなければいけない部分が欠けている気がしてならない。
明日の午前は母の米山志津川診療所からの退院となる。89歳の後期高齢者・被災者医療補助があり、バジャマの貸し出しの2310円の支払で、介護保険制度により我が家は生きていけている。訪問介護・訪問看護・入浴サービス・介護品貸与など、要介護度5の場合35万もの負担は、3.5万で済む。母は親要介護3の制度で助けられ家族も自分の時間を持て普通に近い生活を確保できる。テレビで介護を受けている老人は、ディサービスに行ける皆で話をできる事が楽しいと言う。母も体調の回復後は週2回のデイに行ける事を私は願う。
昨日は会いたい人が来てくれた。「私は死んだ身です、町の為に残りの時間は生きたい」という。また「同志」が増えた。
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